カッパドキアにて DAY 3

猿は空に憧れて二本足で立つようになり、やがて人間になった。
そんな話を聞いたことがあるが、小さい頃純粋に空を飛べればと思っていたことはある。空を飛んでどうこうしようとは思わなかったが、あの雲の上には何があるのだろうとずっと興味を抱いていた。ずいぶん年月が経ってしまったが、そんな夢が叶うときがきたわけだ。

Cappadocia

気球はゆっくりと上昇し、驚くほどゆっくりと空を飛んだ。飛行機に何度乗っても空を飛んでいる実感なんて湧かないが、これだけゆっくりと確実に飛んでいると、不思議な感覚に襲われる。初めて経験する身体感覚だ。

Cappadocia

空と一体になると言うのは大袈裟だが、空をゆっくりと浸食し視界には地上から見る風景とは全く違った景色が広がっていた。空から見るその奇妙な形をした岩石たちは、昨日雪のなかを苦労して回った光景なんて忘却の彼方へと追いやるほど、感動的だった。この気球ツアーを企画した人はその効果を実感していたのだろうか?地上からだとただの奇天烈な形をした岩たちが、空から俯瞰で見るとなんとも幻想的に見えた。それに雪の効果を相まって、今までに見たことがない光景が眼前に繰り広げられた。

フランソワやほかの同乗者たちはひたすら写真を撮りまくり、ずっと興奮していた。早起きは三文の得というが、まさにこのことだ。5時半に迎えに来るワゴンバスが、7時に来たことは水に流そう。それくらい価値のある光景だった。

気球はそのまま一時間ほど飛行を続け、やがて気球は静かに下降し、地上へと降り立った。てっきり同じ場所へと戻るかと思っていたが、そうではなくだだっぴろい平坦な地面へと無事着地した。気球が降り立ったすぐ横にトレーラーが乗り付けられ、僕たちを乗せたまま10人くらいの男たちがよっころせとばかりに、気球をそのトレーラーに載せた。打ち上げのときになぜこんなに多くの男がいるのか分かりかねたが、このためだったのかと納得した。

気球から降りた我々には、気前よくシャンパンが振る舞われ、雪の上に設置されたテーブルの横で乾杯した。朝の8時半にシャンパンで乾杯したのは生まれた初めての経験だった。

ワゴンバスでホテルへと帰った僕たちは朝食を食べに、食堂へと行った。僕はやはり昨夜、同じホテルに宿泊している韓国人の女の子たちのことが気になり、フランソワと一緒に昨夜のことを謝りに行った。ドミトリーに泊まっていた彼らはまだ寝ていたらしく、眠気眼で「気にしないで」と言ってくれた。寛大な人たちで良かった。

そのあと彼らと一緒に朝食を食べ、フランソワは次にどこへ行くのか宿の人に相談していた。彼も今日カッパドキアを出発するのに、いまだにどこへ行くのすら決めていなかった。韓国人の女の子たちも夜行バスで違う街へと向かうから便乗すればと言ったが、夜までカッパドキアでいるのが嫌らしい。結局、飛行機で世界遺産があるパムッカレに向かうということになった。
フランソワもなんの因果かイスタンブールまで一緒の飛行機で行き、そこで飛行機を乗り換えることになった。

カッパドキアの滞在は三日間と非常に短いものだったが、とても印象的だった。やはり無理をしてでも来てよかった。ただフランソワと初日のバスで会えなければ、一人で寂しく過ごすことになっただろうから、彼には感謝している。岩マニアでもない限り、真冬のカッパドキアはおすすめしない。レストランで出会った人も、ツアーガイドのトルコ人もみんな口を揃えて、「夏に戻って来なよ」と言っていた。言われなくてもそうする。冬のトルコはもうこりごりだ。

昔、スコットランドのエディンバラに住んでいたとき、冬に来る観光客に「おまえら、なにしにやって来た?なんのためにわざわざ真冬のスコットランドにやって来た?」と心の中で思っていたものだ。きっとトルコの人も内心そう思っていただろう。

今後は夏にヨーロッパを旅しようと強く思った。
そして、冬にアジアか南米あるいは中南米がベストだろう。二度も強盗に襲われたブラジルにまた行く気はしないが、キューバあたりは面白いかもしれない。ちょっと足を延ばしてドミニカ共和国というマイナーな国へと足を運ぶプランも考えられる。

なぜかというと、子供の頃、ドミニカ共和国に無性に行きたくて「新婚旅行はドミニカ共和国」と決めていた時期がある。それをニューエイジカルチャーにどっぷりはまっていた女性に言うと、「そこよ!昔、アトランティス大陸があったところは!あなたはきっとアトランティスから来たのよ」と言われたことがある。ドミニカ共和国に行って、アトランティスに生きていた頃の記憶が甦ったらどうしよう?

僕の友人が沖縄の高名な占い師に占ってもらったところ「前世はヨーロッパの貴族」と言われたらしいから、「前世はアトランティス人」というのも悪くはない。でも常々思うのだが、だいたい人口の八割が普通の庶民なのだから、たいていの場合「前世は庶民」と言われるはずだが、そんなことを言う人は聞いたことがないのはなぜだろう?

何十年か経って前世占いをする若者に「前世はワーキングプアでした」や「一生、派遣でした」とか言う占い師はいるのだろうか?格差社会になっても、せめて前世だけは貴族やらアトランティスと言われたいものだ。

アトランティスの有名な候補地であるギリシャのサントリーニ島へは18歳のときに行ったので、そんな色々と繋がりがあるドミニカ共和国という名前しか知らない国へ行くのもなんだか楽しみになってきた。ただ、とにかく冬のヨーロッパだけは避けようと思った今回の旅ではあった。

カッパドキアにて DAY 2

窓を開けると、そこはあたり一面雪に覆われた白銀の世界だった。

Snow

今日はクリスマスイブということもあり、久しぶりに経験するホワイトクリスマスだ。今日一日、家に閉じこもり窓から真っ白の世界を眺めやり、母親が用意する七面鳥を頬張り、家族みんなクリスマスツリーの下で歌でも歌いながら過ごしたら、素敵な一日になっただろう。

しかし、なんの因果かこの雪が吹き荒れている悪天候のなか、たっぷり丸一日カッパドキア名物の奇岩たちを歩いて回らなくてはいけない。あの川端康成も「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」と書いているが、それは汽車から見た世界だったからこそ、そんな悠長なことを言っていられたわけだ。もし彼が歩いてトンネルを抜けていたら、「寒いぞ、こんちくしょう」という感想しか思い浮かばなかったに違いない。

前日、フランソワと「カッパドキアはもっと寒いと思っていたよ。冬のカッパドキアの写真はどれも雪が積もっていたからさ、てっきり雪が降るものだと思ったけど、降らなくてよかったね」と笑い合っていたのが、嘘のようだ。それに、なんとなくトルコは暖かい国という先入観から、防寒の準備をしてこなかった。唯一の頼みはユニクロのヒートテックだが、さすがのユニクロ様もこの寒さは手に余るだろう。しかも気が動転していたのか、長袖のヒートテックにセーターを着て、その上にジャンパーといういたって軽装のまま日帰りツアーに参加してしまった。

カッパドキア周辺にある様々な奇岩を回るのだが、願わくば車の中から見ていたかった。しかし、バスに乗ってしばらくするとツアーガイドのジェシカは「オープンエア・ミュージアムに着きました。車を降りてこれから一時間半かけ、ここを見て回ります」と告げた。「嘘だろ」と思った。外は文字通り、吹雪である。吹雪の中、岩なんて見てなにが楽しいだろう。世界遺産の岩がどうしたというのだ。そんなものより昨日のハマムに戻って暖かい大理石の上でずっと寝ていたい、というのが本音だった。しかし、そんなことはおくびにも出さずに、岩から岩へと「ふむふむ」とあたかも興味深い岩たちに感心するのを装い見て回った。寒さにたいしてわめき散らしたところでどうにもならず、郷に入れば郷に従うまでだ。それがツアーの根幹のルールでもある。

それにしても、みんな写真をよく撮る。そんなに岩の写真を撮って、何が楽しいのだろう?岩だから表情も変わらないし、吹雪だから光の加減もなにもあったものではない。動かないものには興味がないのは自分だけなのかもしれない。篠山紀信は「富士山も誉める」というのを思い出し、ユニークな形をした岩たちに微笑みを送ってみるが、何の感情も起きはしない。それに手袋も持って来ていなかったので、ポケットから手を出してカメラを取り出す作業だけでもかなり骨が折れる作業だった。そのうち手がかじかんで、感覚すらなくなってしまった。やはりヒートテックだけでは、どうにもならない。精神は肉体の従属物であって、けっしてその逆ではないのだ。

yuki, 寒い

(明らかに写真を撮る状態ではありません。隣に写っている韓国人女性たち、ほんと寒そうです)

オープンエアー・ミュージアムという名の岩石群がどうやらツアーのピークだったらしい。あとはカッパドキア特産のセラミックの皿、トルコ石の店などに案内された。ツアー参加者の半分は韓国人で、旅行代理店の人によると、この時期のトルコは彼らで溢れ返っているとのことだ。一昔前は日本人ばかりだったのが、それが韓国人に取って代わったとのことだった。土産物に興味を示しているのは彼らだけだったが、やはりウォン安が響いてたのか何も買わずに店を出た。

記念写真 寒い

(最後にみんなで記念撮影をしました。無理して笑っていますね、みなさん)

最後に吹雪の中、最も有名な奇岩郡だというところに立寄り、各自のホテルへとワゴンバスで送って行ってもらった。車中、フランソワが「今日はクリスマスイブだから、みんなで一杯飲みに行こう。FATBOYといういいバーがあるからそこに八時に集まろう」と提案した。みんなの反応はかなり鈍かったが、僕は個人的に仲良くなった韓国人の女の子二人組と日本人の女の子を誘っておいた。あと一人で参加しているポーランド人が一人乗り気だったが、ほかの人たちは来そうになかった。あとでフランソワが「みんな乗る気じゃなかったけど、おれって人気ないのかな?」と心配していたが、人気も何も今日初対面の人たちばかりなのだから、あの程度の反応が当たり前というものだ。

ほかのみんながホテルまで送ってもらうなか、僕たち二人はハマムの前で降ろしてもらい、またしてもハマムへと繰り出した。待ち焦がれていた瞬間がようやくやってくるのだ!このためだけに今日一日凌いでいたと言っても過言ではない。ハマムに入ったのは4時過ぎだったが、出たのは7時半を過ぎていた。三時間半ものあいだ僕たちは至福のときを過ごしたのだった。今回はアカスリマッサージとソープマッサージに加え、オイルマッサージも施してもらった。少々、手荒なマッサージだったが、今日一日の疲れを取るにはそれくらいの強さがちょうどよかった。

ハマムから出るとフランソワがインターネットをチェックしたいというので、それに付き合ってネットカフェへと赴いた。それから食事を取るためにレストランに入ったが、その時点で八時を過ぎていた。僕は「みんなもう来ているかもしれないけど、大丈夫かな?」と言ったがフランソワは「彼らは待てるさ」とスペイン人のような時間感覚で答えた。この吹雪の中、バーまで行って確かめに行くのは気が滅入る作業だったので、結局そのまま九時頃までレストランに居ることになった。さすがにその頃になるとフランソワも気になり始めて、僕らはほとんど駆け足でFATBOYに向かったが、バーには誰一人いなかった。だが、バーテンダーから話を聞くと僕らが着く10分前まで日本人と韓国人らしき集団、それに欧米人ぽい男が一人いたとのことだ。どうやら入れ違いに彼らは待ちきれずバーを出て行ってしまったらしい。悪いことをしたと思った僕は来た道を戻って、あたりを見渡してみたが、誰も見つからず仕方がないのでバーに戻り、またビリヤードをすることにした。

ビリヤードをしていると、トルコ人と金髪の男が入って来て、一緒にプレイしようと言ってきた。僕たちは二人一組になってエイトボールをすることにした。ハマンというトルコ人は日本語を勉強しているということもあり、日本語が結構堪能だった。いわく、トルコ語と日本語はすごく似ているので勉強するのは簡単だということだ。フランソワが冗談交じりに「ユウキ、だったらトルコ語勉強すれば?フランス語や韓国語よりも上達が早いかもよ」と言われて、確かにそうかもしれないと思ったが、トルコ語を習ったところで使い途がないので、今のところはその予定はないよ、と答えておいた。

ハマンは毎日、FATBOYでビリヤードばかりやっているというだけあって、非常にうまく僕たちは一度も勝てなかった。それから僕たちはツアーに参加していたオーストラリア人の誘いに乗り、違うバーへと移動した。彼は僕たちがここで飲んでいることを知っていたので、迎えに来てくれたらしい。外に出ると、激しく雪が降っていたが、適度のビールのおかげでそれほど寒さも感じず、僕たちはバーへと向かった。

バーではかなりの人数の人たちが飲んでおり、フランソワと一緒にその輪に加わった。その中の一人が明日気球に乗ると言ったので、僕たちは興味を覚えてその詳細を聞いた。話によると、明日の朝五時半にホテルにワゴンバスが迎えに来て、気球を上げる場所をまで連れて行ってくれるという。料金は一時間気球に乗って100ユーロとのことだ。けっして安くはなかったが、気球なんて乗ったことがなかったので、僕たちはその気球ツアーに参加することにした。そのときにはすでに深夜1時半を過ぎており、翌日五時には起きないといけない僕たちはホテルに帰って休むことにした。

Bar

カッパドキアにて DAY 1

カッパドキアへの行き方はバスか飛行機で行くかの二通りある。
バスは片道11時間半、飛行機は片道一時間半だが、バスの料金の二倍ほどする。筋金入りのバックパッカーならば、ここは迷わずバスで行くだろうが、筋金入りでもなくましてや今回はバックパックすら背負っていなかったので、飛行機で行くことにした。

Cappadocia, Goreme

着いた空港はカイセリ空港といってカッパドキアの中心ギョレメまでは、車で一時間半ほどのところにある。まずはタクシーで大きなバスターミナルまで行き、そこでバスに乗り換えることになる。空港から乗ったタクシー運転手はしきりに「ギョレメまでは直通のバスは出ていないから、このままタクシーで行け」と勧めてきたが無視し、バスターミナルまで行った。タクシーでギョレメまで行くと、120リラでこれはイスタンブールからカッパドキアまでの飛行機代に匹敵する。

バスターミナルでギョレメまで行くバスがあるかどうか訊くとあっさり見つかり、わずか10リラで行くことができるという。そのバスに乗り込むと、そこで通路を隔てた隣の席に座ったフランソワというフランス人と知り合った。彼はギョレメではなくネヴシェヒルに向かうと言う。そこはどんなとこだと訊くと、奇岩群を見る出発地点としては最適な場所とのことだ。カッパドキアの情報と言えば、ネットで見たギョレメという街の名前しかないので、彼の言う通りそこに行った方がいいのかもしれない。バスにはほかに外国人はおらず、そのせいもありお互いに色々と情報を交換した。彼も同じ便でイスタンブールからカッパドキアに着き、三週間ほどトルコを旅する予定とのことだ。大晦日にはイスタンブールにまた戻り、カウントダウンパーティーに参加する予定だと言う。今回の旅には僕はキャノンのG9とコンパクトカメラのリコーGR10しか携帯していなかったが、フランソワはそんなプロも真っ青のキャノン5Dという立派な一眼レフを手に携えていた。
(言い訳すると前回のブラジル旅行で一眼レスが目立ちまくり痛い目に遭ったので、今回は小さなカメラしか持ってこなかった)

最初、フランソワのことをスペイン人かと思ったが、それもそのはずで彼はスペインのアリカンテ在住だった。英語、スペイン語、フランス語と操る彼は世界中どこに行っても困らないだろう。昨年はコロンビアやペルーといった南米を旅したとのことだった。僕もブラジルに行ったということを話すと「南米のなかでも最後に行くところだね。ほかにいくところがなければの話だけど」とフランソワは言った。最初はなぜだか分かず反論してみたが、なんとなく肌感覚で彼のいわんとしていることは分かった。あの狂騒を好きになれない人間のほうが、世の中には多いし、旅にそんなものを求める必要も特にない。彼のようにマチュピチュやコロンビアのジャングルなどを巡ったほうが、より健全だろう。

フランソワも一人旅だったので、「まともに話すのはすごく久しぶりだよ」と言った。イスタンブールには二日間しかいなかったが僕もずっと一人だったので、彼のいわんとすることはよく分かる。バスはギョレメに着いたが、ここで彼と別れるのも名残惜しいので、そのまま一緒に聞いたこともない街、ネヴシェヒルに行くことにした。

ネヴシェヒルに着くと、早速ホテルを探すことにしたが、バス停にはなにもなく二人で案内所でもないか探してみた。そこでようやく見つけたところはロック・ビュー旅行代理店というところで、カッパドキアの日帰りツアーも扱っているという。ちょうど良かったので、そこで明日の日帰りツアーとホテルを予約し、まだ昼の12時過ぎだったこともあり、この近くにある地下都市にも行くことにした。

Cappadocia, Goreme

(これが地下都市の入り口と思うくらい付近には何もない)

旅行代理店のワゴンバスに揺られること20分、地下都市の入り口に着いた。それはただの住宅地にぽつんとあった。中に入ってみると、1万人もの人が住んでいたとは想像ができないほどかなりこじんまりした作りだった。ちゃんと礼拝堂やキッチンなどがあり、それはそれで興味深かったが地下都市と聞いてもっと大規模なものを想像していたので、正直少しがっかりした。地下都市に行った後、旅行代理店の人がホテルまで送ってくれて、そこで荷物を降ろしてから、昼食を食べにギョレメの中心へと出かけることにした。

オフシーズンということもあり、開いている店自体少ないので、ツアーガイドおすすめのレストランに行くことにした。そこは家族経営のレストランで、応対してくれた男性は長い間スペインに住んだことがあるトルコ人だった。しばらく、フランソワとスペイン語で長々と話し込んだあと、スペインでの生活に関して色々と話してくれた。いわく、スペイン人はシエスタの習慣があるので、昼間の二時から四時まで全く働かないし、夜はバーとクラブに繰り出し、毎日のように朝まで遊んでいるとのことだ。フランソワも「同僚のスペイン人は、深夜1時に待ち合わせをしようというから困る。しかも平日にだよ。僕の限界は遅くても夜の11時が人と待ち合わせる限界だ」とのことだったが、日本のスタンダードに照らし合わせれば、それでもあり得ない時間での待ち合わせだ。

Cappadocia, Goreme

フランソワの契約形態はフリーランスだったが、クライアントはEU(欧州連合)でそのためにヨーロッパ各国を旅している。彼の肩書きはソフトウェアやウェブサイトなどの進行管理をする「プロジェクトマネージャー」というものだ。仕事は忙しいが、それでも朝の九時半から夕方五時半まで働き、そのあとは自分の好きなことをする時間があるとのことだった。そして、年に一回一ヶ月ほど休暇を取り、世界を旅しているという。同僚のスペイン人は長々と仕事をしている人たちもいるが、それはシエスタを取ったり、おしゃべりをしたり効率の悪い働き方をしているからだと言った。

彼らの話を聞いていると、ぜひともスペイン語を学び、スペインに住みたくなった。

トルコ人男性の話で面白かったのは、イギリス人に関する話だ。彼はスペインのバーで働いているときに、散々イギリス人から嫌がらせを受けたらしく、イギリス人のことをひどく悪く言った。そのなかでも特におかしかったのは「イギリス人はどんな会話でも、これはかくかくしかじかと言ったあとに、必ずBUT(しかし)と続ける。そうして彼らの話はけっして終わることがない」と嘆いた。たしかにその通りだと思う。元来、議論好きな人種なので相手をとりあえず肯定しておいて、次にはひどくこき下ろすことが往々にしてある。それにしても彼はスペイン語を堪能だし、英語もほぼ完璧だ。語学の才能に恵まれているのだろう。

料理はとてもおいしく店の人の話も面白かったので、僕らは大満足だった。
旅の疲れを癒そうと、僕らが次に向かったのはハマム(トルコ風呂)だ。アカスリマッサージに、ソープマッサージが付いて、35リラ(2500円ほど)と悪くない値段だ。それにそこにはプールやサウナも付いているので、トルコの冬の厳しさにすっかり冷えきった体をほぐすのはちょうどいい。それになんといっても、フランソワが大のハマム好きだった。彼はイスタンブールでハマムを初体験して以来すっかり気に入り、そのあと毎日のようにハマムに通っているということだ。

(フランソワが大好きなハマムに入るところです。入る前に泥を塗られ、それに美肌効果があるのかもしれません。ビデオで言っているように20歳のような肌に戻ることはないと思います)

ギョレメの中心に位置してたハマムはなかなか豪勢で、僕たちはすっかり気に入り、二時間以上そこにいた。とくに熱で暖められた大理石に寝転がるのは気持ちよくあやうく眠り込みそうになった。ハマムを出た僕たちは当然のごとくビールを飲みにバーへと繰り出した。だが、営業しているバーがなかなか見つからないので、土産物屋に入りどこかにバーがないか訊くと「FATBOY」というバーがオープンしているということなので、そこに行くことにした。

ハマムを出たときはまだ夜の七時半くらいだったが、そのバーを出たのは12時半くらいだったと思う。ずいぶん長い間フランソワと話をした。僕が特に興味があったのはEUに加盟している27カ国もの国々の人たちをどうやって取りまとめているかということだ。二国間でもにっちもさっちもいかないことが多いのに、彼の場合はその数が半端ではない。

「秘訣は各自に同じチームに所属しているという意識を持たせることだよ。何か問題が起こったら、まずはその当事者から話を聞き、彼あるいは彼女が何に不満を持っているか訊くんだ。そして、今度はその問題解決の策を練り、一緒に解決していくだけさ」と事もなげにフランソワは言った。その問題解決が難しいのだが、その前段階である「同じチームに所属している」という意識を持たせることがそのための秘訣なのだろう。フランソワは外見は老けているが、じつは僕よりも一歳だけ年が上だった。そんな彼は仕事も楽しみ、プライベートも充実していそうだし、何よりも非常に魅力的な人だった。自分ももっと充実させないと後れを取るなと思い、改めて気を引き締めた。

ヨーロッパはEUに統合されてから人の行き来が非常に活発になり、真のグローバリゼーションを実現している。日本のように大袈裟な言葉だけ一人歩きしている国とはそこが違う。隣人はアイスランドから来ている人もいれば、ギリシャから来ているもいる。そういう環境では必然的に人格の強さがものを言い、総じて個性の強い魅力的な人を輩出しやすいのかもしれない。「人は必要に迫られないと、努力しない」ということだろう。

ヨーロッパで一流の仕事をしている人は、フランソワのように三か国語ぐらいは話せるのが当然なのかもしれない。
(とある統計ではアメリカで企業幹部が話せる言語は1.5言語だが、オランダでは3.9言語という結果になっている。それに付け加え2001年には「ヨーロッパ言語年」と銘打ち、母国語プラスEUの二カ国語、合計三か国語をマスターすることが提唱されている)

日本では価値観の共有、常識がコミュケーションの前提となるが、ヨーロッパではそんなことは言ってられない。生まれた国が違えば、当然価値観も違うからだ。フランソワのように圧倒的に自分よりも経験も豊富で、キャリアも上の人に出会うといい刺激になる。彼の唯一の弱みは、未だ彼女がいないことだが、それもそのうち解決するだろう。
(試しにマリアにフランソワのハマムの映像を見せたら、「悪くない」と言っていた)

僕たちはシーシャという水たばこを吸い、ビリヤード台があったのでエイトボールをプレイした。すごくへたくそだと言っていたフランソワに気を使って勝たせるうちに調子が狂ってしまい、四回連続で負けてしまった。このくそ寒く閑散としたカッパドキアで彼と出会わなかったら、今日はひどく惨めな日だったろうなとビールで満たされた頭で漠然と考えた。あのときバスで意を決して話しかけて、そしてあっさり自分のプランを変更して彼に付いて行って本当に良かった。

明日はクリスマイブだったが、カッパドキアで過ごすクリスマスも悪くはないなと思った一日だった。エイトボールのリベンジを誓い、FATBOYをあとにした。

イスタンブールにて

イスタンブールへは、easyjetという格安航空会社を使って行った。
数年前にも使ったことがあったが、今回乗って驚いたのは全席自由席ということだ。徹底したローコストにこだわった結果だと思うが、自由席の飛行機に乗るのは少し違和感がある。昔、エディンバラからダブリンに飛んだときは小型セスナ機のような飛行機で、機体が傾くと席もそれに沿って傾くという代物で肝を冷やしたが、今回はそれとは違う驚きがあった。

Turco, Istanbul

イスタンブールに着いて一番最初に思ったことは「寒い」ということだ。そもそも寒さを避けるためになるべく南へ行くことにしたのだが、想像よりも全然寒かった。これならトルコとは違いイスラム教の戒律が厳しく、ビールすらなかなか手に入らないエジプトに行ったほうがよほどよかったかもしれない。寒さを取るかビールを取るかの二者択一なら当然ビールだと思ったが、これほどとは思っていなかった。

そして次に驚いたことは、トルコのみなさんはやたらと親切だということだ。空港からバスで市内へと向かうことにしたのだが、バスに乗っていたトルコ人にホテルまでの行き方を訊くと、途中で地下鉄に乗り換えなければ行けないと言われ、そこまで連れて行ってくれた。彼は自分が降りるべき駅ではないのに、わざわざそこで降りて乗り換えの駅を差し示して、「よい旅を!」とさわやかに言い残して、どこかへと消えてしまった。

所さんの「ダーツの旅」風に言うと、「第一村人発見!」でそこまで親切な人に出会うと、トルコの人みな親切という固定観念が頭に出来てしまう。しかし、その固定観念を見事に打ち破ってくれたのが、旅の盟友ゴウくんだ。

彼は僕よりも二日遅れてイスタンブールに着き、僕はそのあいだイスタンブールから飛行機で一時間半のところにある奇岩で有名なカッパドキアに行っていた。彼が着いたその日の夜に、カッパドキアで知り合ったばかりの人と楽しくバーでビールを飲んでいた僕に「やられた」とゴウくんからの電話があった。

Turco, Istanbul

話はこうだ。
イスタンブールに着いた彼は、早速街へと繰り出し、犬も歩けば棒に当たるがごとく、ひたすらトルコ人から声をかけられ、そのほとんどの誘いに応じて土産物屋(そのほとんどがサクラという同じ土産物屋の勧誘らしいが)に行き、チャイを飲みながら歓談していたという。もちろん、土産なんて一切興味のない彼は、ただ話をしていただけだし、トルコ人のほうも英語が話せる日本人が珍しいらしく楽しそうに応対していたらしい。そこまでは良かったのだが、そのなかの一人にたちの悪いトルコ人がいて、一緒にディスコに行こうと言って彼を連れ出したらしい。

ただのディスコだと思って付いて行ったゴウくんは、席に着くなり女の子がその席に座り、食べ物やら果物やらが出された時点にすぐに異変に気づき、「なんやねん、これ」と思ったらしい。早速、連れて来たトルコ人(やたらとスタイリッシュで身なりが良い)につかみかかり、「おまえふざけんなよ、これおかしいやろ」と押し問答になり、とにかく自分の分のドリンク代だけを払うからもう出ると言ったとのことだ。しかし、女の子のドリンク代も払えと言われ、「よっしゃ、わかった。いくらや?」と言って日本円にして合計8000円くらいのお金を置いて、そのディスコを出たらしい。

これは本当にラッキーな例だと思う。ほかの人はただでは帰れず、お金をきちんと支払わない場合は、別室に連れて行かれ、ぼこぼこにされた挙げ句ATMで連れて行かれて有り金全部引き落とされる人もいるらしい。

http://kassi.seesaa.net/article/1640062.html
(同じディスコではないと思うが、実際色々と怖い目に遭っている人は多い)

しかし、そこはロンドン在住11年の関西人ゴウくんである。多少のお金はぼられたが、それだけで済んだのは本当に幸運だ。それに彼はこの後ずっとこの話を会う人全員に披露していたので、話のネタ代と思えば、おつりがくるほどだ。ちなみに僕はイスタンブールでは誰一人からも声をかけられることはなかったし、チャイをご馳走になることもなかった。ゴウくんいわく「おれはやたらとフレンドリーな雰囲気を醸し出しているからや。おまえは無愛想なんや」ということだが、単純に彼は日本人に思われ、僕は規格外の背の高さが災いして日本人だと思われていなかっただけな気がする。

カッドキアから帰って来た僕は、そんなゴウくんとホテルの隣にあるバーで再会を果たした。彼はこの事件からはすっかり立ち直っており、「あの女の子おれに気があるねん」とバーの女の子を指差してにんまりするまでに回復していた。

幸せなやつだ。

(ちなみに上のビデオはクリスマスの日にたまたま入った近所のトルコ料理屋でスープを食べているところです。あれは本当にうまかったです。それとぼったくりのディスコの人たちからはヤクザと勘違いされただけあって柄の悪いゴウくんです。ぼったくりディスコで無事だったのは、たぶんそのへんに一番の原因があると思うのは気のせいでしょうか?)

GOING TO LONDON

きっかけはささいなことだった。
とある日の深夜、ぼーとしながらHISのHPを見ていたらヴァージンアトランティック航空のロンドン行きチケットがやたらと安かった。燃料費込みでも11万円くらいだったので、とりあえず予約してみた。オンライン予約だったので、あとで変更してもいいだろうと考えたのだった。しかし、蓋を開けてみると、変更は一切できず取り消し手数料4万円を払って、一回取り消してからではないと変更ができないことが判明した。そこで仕方がないので、ロンドンに行くことにした。

期間は12月18日から2009年1月5日までの三週間弱だ。出発日を12月18日に設定したのは、翌日から料金が倍になるからだった。

London

しかし、どうみてもロンドン滞在だけでは間が持たない。そこでロンドン在住のヘアスタイリストのゴウくんを誘って、トルコとベルリンに行ってみることにしたのだった。行き先は二人で相談して決めたのだが、ゴウくんは暖かいインドに行きたいと言ったが、ロンドンに行ってまたインド、それにロンドンという馬鹿馬鹿しい旅はしたくなかったので、ヨーロッパを旅行することにした。

トルコは以前から興味があったので良い機会だと思った。個人的にはトルコだけでも良かったのだが、ゴウくんがそれでは長過ぎるとのことだったので、ベルリンにも行くことにした。ドイツはミュンヘンとシンデレラ城のモデルとなったノイシュバンシュタイン城があるフッセン以外に行ったことがない。しかも行ったのは、高校三年の頃だ。あれが初めてのヨーロッパ旅行だった。そのときも友人二人と三週間くらいかけて、イギリス、フランス、ドイツ、ギリシャと回った。遠い昔の思い出だ。

出発前日に適当にパッキングしたスーツケースを持って、成田空港へと向かった。なぜか空港で村上春樹の「ノルウェイの森」を買ってしまい、それを持って飛行機に乗り込んだ。12時間のフライトは、ひたすらオンデマンドの映画を見て過ごした。「ノルウェイの森」はドイツに行くまでに取っておこうと思ったのだった。
(物語は主人公がハンブルク空港に着くところから始まるので、それにあやかったのだった。まあ、実際に着くのはベルリンの空港なのだが)

ロンドン滞在の目的は、ゴウくんと会うことと、以前ロンドンに住んでいたときに一緒のフラットに住んでいたコロンビア人のマリアと会うこと、それにクリスマスセールに賑わうロンドンで、冬物一式を購入することだった。
(なにせ二年前にロンドンで大量に冬物を購入して以来、なにも買っていない。190を超える身長だと、日本ではなかなかサイズが合うのがないのだ。日本で自分にぴったりの服を見つけると、ほかに誰が買うのだろうと逆に心配になる)

ロンドンには最初の三日間滞在し、それからトルコに6日間、ベルリンでも6日間過ごし、そして最後にまたロンドンという日程だ。初日はあまりに疲れていたが、ゴウくんがインド料理屋に連れて行ってくれて、そこが最高においしかった。不味いと評判のイギリスでおいしい料理に初日から出会うなんて、感激もひとしおだ。

翌日の夜はマリアと再会を果たし、イタリアンレストランでピザを食べた。彼女の仕事はアートセラビストというあまり日本に馴染みのない職業だ。心理学に加えて、絵や写真などを通して診療を行うという。通常の精神科のカウンセリングと同じようにマンツーマンで診療を行い、自閉症の子供や少年犯罪者などを相手にマリアは診療を行っているとのことだった。自由な発想で絵を描かせたりするので、子供たちのほうが発想がより柔軟で相手にしていて面白いとの事だ。心理学、考古学、音楽療法を学んできた彼女にとって理想的な職業と言える。イギリスでも新しい職業だが、大学ではきちんとコースもあり、Ph.D.を取得するには5年もかかると言う。
(マリアは修士号までしか取っていないが、いずれPh.D.を取るつもりだと言う。ただそのためには、よほど自分の興味のある専門的な分野を見つけないと、5年も持たないだろうとのことだった)

マリアとは8時半ぐらいに会って、結局深夜1時半ぐらいまでずっと話していた。なんの話をしていたのか今となっては思い出せないが、ひどく楽しかったことだけは覚えている。

(ちなみにビデオはマリアがピザを食べきれず、ピザの耳だけ残して、きれいに並べたのが面白くて撮りました。マリア、食べ物を粗末してはいけません)

出会った頃は21歳だったマリアも今では32歳だ。一緒に居た頃のマリアはなぜかいつもヒョウ柄のジャンパーを着ていて、当時付き合っていた恋人と痴話げんかをして、頭に来たマリアはフラットの窓にパンチを喰らわし、窓にぽっかりと大きな穴を開けたというぶっ飛んだ人だった。 (カンフーの達人のように大きな窓に拳大の穴が空き、やはり彼女はただ者ではないと思ったものだ)

すっかり遅くなったので、彼女のナイジェリア人の恋人はしびれを切らし、僕らを迎えに来た。2年ぶりに会うので、ついつい話し込んでしまったが、翌日も一緒にアンディ・ウォーホルの展覧会を見る約束をして、そこでひとまず別れた。結局、6日間ロンドンに滞在したうち、4回も彼女に会うことになった。

(↓マリアの日本語レッスンです。コンニチワも知らなかったのらしい。長い付き合いになるのに。僕もオラとグラシアスぐらいしかスペイン語知らないので、お互い様かもしれないが)

翌日も昼間に落ち合い、夜まで展覧会をぶらつきながら、一緒に過ごした。彼女と見た展覧会で最も印象的だったのは、自然博物館を見に行ったことだ。考古学を専攻していた彼女にとってそこは天国のようなところだったのだろう。僕らは結局、彼女に四時間以上も延々と連れ回され、すっかりくたびれてしまった記憶がある。それ以来、彼女と展覧会を行くことは鬼門になっていたが、今回はそんなに長居はせずに済んだ。

アンディ・ウォーホルの展覧会には彼の言葉も飾られており、一番印象的だったのはこの言葉だ。

"If you want to know everything about Andy Warhol, you have to look at the surface of my paints, of my movies, of myself. Here I am, there’s nothing behind."
(アンディー・ウォホールのすべてを知りたければ、僕の絵に映画、それに僕自身の表面を見ないといけない。ほら、そこには何も隠されていることはない)

僕が人生で最もつまらない映画だと思ったのは奇しくも彼の映画で、エンパイヤーステイトビルが延々と映し出されているただそれだけの映画だった。たぶん、それを映画として見たのが間違いだったのだろう。映画にあるべき起承転結を一切無視し、ただひたする同じビルが映っている映像は映画とは言えない。かといって、それを芸術だというのも無理がある。アンディ・ウォーホル自身は、「過ぎ行く時間を見る(see time go by)」をこの映像を見るとポイントと言っていたらしい。ということは被写体は何でも良かったわけで、それが当時世界一高かったビルになったのは、彼のポップ精神の賜物だろう。ようするに映っているものはなんでも良かったわけだ。アンディ・ウォーホルが延々と世界一高いビルを撮り続けるという行為が、アートなのだ。彼ほど自分の価値を十二分に理解していた人は、ほかにいない。世界的に有名になった寺山修司のような人だ。両者ともに中身がないことによって成立しているアーティストである。行為そのものがアートになる人たちは、なかなかいない。

マリアは展覧会の出口にある部屋にあった雲の形をしたヘリウム入りのたくさんの金ぴか風船を見て、「あれはアンディ・ウォーホルそのものよ」と言ったが、たしかに言い得て妙だなと思った。空気より軽く派手だけど、あくまでポップという地表に留まっているアンディ・ウォーホル。

展覧会を出ると、外はすっかり真っ暗でテムズ河からの風も強く、ひどく肌寒い天気だった。ヨーロッパの冬の一日は短い。僕らはそのあとカフェでお茶をして、また色々とお互いの話をして帰路に着いた。こういう穏やかな日を過ごすのは久しぶりなような気がした。日本では何かしていないと、ひどい罪悪感があり、いつも心中穏やかではない。「何かをする」ということだけが奨励されている気すらする。長時間労働やサービス残業という発想はヨーロッパには似つかわしないように、日本では「無為に過ごす」ということがとても難しい。

London

翌日からはトルコに行く予定だ。
久しぶりのヨーロッパはとても心地よかったが、身も凍るような寒さだけが玉にキズだった。

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