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on 2005.2.25, 00:00,
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diary.
アバウト・シュミットを見た。
今巷で話題になっている「サイドウェイ」の監督であるアレキサンダー・ペイン監督が描く、退職後の男が辿る数奇な物語だ。
まるで出来のいい小説のように物語は進む。
その観察眼が素晴らしい。
退職後の男という扱いにくいテーマを取り上げながら、ちゃんと映画という枠内で表現し切っているのがすごい。ドラマがまったくないようなこと自体がドラマだ。
僕は年を取るということは、人生を肯定することに他ならないと思っている。
それは意識的であれ、無意識的であれ同じことだ。
生き続けるということは、それなりに大変なことである。
それでも、その先を見ようと人は生き続ける。
そして、漠然としたまま生き続けた男の末路というものが、この映画で非常に鮮烈な形で描かれている。
意識的に仕事を続けて、人生を生き続けるのは至難の業だとは思う。
仕事に限らず、意識しながら人生を全うするのは難しい。
人はいつのまにか、なんとなく生き続ける生き物ではないだろうか?
なんとなく生きるのが、人生というやつでは・・・・・
退職したあとに、自分の生きた意味がというものが提出されるのは痛い。
やるせない。
願わくば、自分は一瞬一瞬を意識できたと思えるような人生を生きたいと思う。
時々、恐怖を感じるのは漠然とした幸福感を感じるときだ。
なんだかなんとなく・・・・なんとなく自分の人生に満足を見出している自分がそこにいる。
どうしたら十代の頃のように生きること自体に危機感を感じて、生きていけるのだろうか?
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on 2005.2.24, 00:00,
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diary.
ガラクタを整理した。
今週の日曜日にフリーマーケットをするからだ。
僕の持ち物で大多数を占めるのが、本とCDだ。
それ以外、固執してまで取り置きしているものはない。
とくにCDは10年ほど聞いてないものも後生大事に取ってある。
おそらく、今後10年聞く予定もないのに・・・・
音楽と思い出は同居している。
気に入ったCDは何十回も繰り返し聞くから、何年かたってそのCDを聞くと否が応でも、そのときのことを思い出してしまう。
時々、過去とどう向き合っていいかわからないことがある。
否定もしないが、なんとも歯がゆい気持ちになる過去がある。
人はそんな思いを抱えながら、生きていくものなのだろうか?
肯定している過去は、現在と連なり思い出すこともないだろう。
どうにもならない過去ほど記憶に残る。
過去の遺物と化した僕のガラクタと一緒に、そういうものも葬りたい。
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on 2005.2.8, 00:00,
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「人間のあらゆる不幸はたった一つのことから由来する。それは自分の部屋でじっとしていられないということだ」 パスカル
最近、ストレスについて考えている。
極論すれば、人間のすべてのストレスは人間関係から生じる。ということは、誰にも会わずに、部屋でじっとして過ごせばストレスから開放されるのだろうか?
たぶんそんなシチュエーションでは僕は三日も経てば、発狂する。
ストレスを抱えても、外に出てほかの人間と接したい。これは自然な欲求だ。
しかし、世の中には引きこもりなど部屋に一歩もでない人々もいるにはいる。こういった人々はストレスフリーな生活をしているのではないかと勘ぐりたくなる。が、そんなわけはない。
究極的に、人間は一人では生きてはいけない生き物だ。
引きこもっている人々も、その生活の面倒を見てくれる人がいるから、引きこもりを維持できる生活的な余裕がある。食料を買う金のないほど貧乏な人にとっては、引きこもるなんて優雅な生活に思えるはず。この社会で生活している限り、そのルールにのっとって、生活したほうが楽に生きてはいける。
そのルールとやらが、この人間関係から生じるストレスをますます複雑なものにしている。
元来、100人いれば100通りの考えや個性があるはずだが、人数が増えすぎために便宜上の共通認識が必要になる。それが常識というものだ。
とくに日本の人口は増えすぎた。
その事実が人間の個性を伸ばすことを妨げたことは否めない。最近になって、ようやくゆとり教育なんて言われるようになったが、僕が小学生の頃は給食を残すぐらいで机の上に正座させる教師がいた。
それは「食べものを粗末にしてはいけない」という共通認識を忠実に守った教えかもしれないが、人間の尊厳なんてものは考慮に入れていない。
ここで初心に戻って、考えたい。
自分ひとりの力で何ができるかということだ。
常識や他人の目を気にせずに、一人家にこもってじっくり考えたい。
冒頭に挙げたパスカルの言葉は、ポジティブに受け取れば一人になってじっくり考えろという見方もできる。社会の最小単位である一人という状態に満足できれば、ほかの人たちと接してもストレスをそれほど感じなくなるはずだ。
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on 2005.1.24, 00:00,
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あやうく入国を拒否られた。
またしてもアメリカだ。
アメリカはまだ数えるぐらいしか行ったことがないのに、毎回問題が起きる。
今回は自分のパスポートがコンピューターでスキャンできない古いタイプのパスポートということで、建前上そういうパスポートの所持者は入国できないらしい。いつそんなことが決まったのか知らないが、勝手な決まりだ。
対応してくれた入国審査官が親切な人で、色々と手間を取ってくれて無事入国できた。前回のように名前が似ているという理由で不当に拘束するような人だったら、強制送還されるとこだった。
しかし、サンフランシスコは住みやすそうな街だった。
海に面して、気候も穏やかだし、物価も日本と比べて断然安い。買い物にも熱が入るというものだ。ヨーロッパは今は日本と大して物価の差はないので、買い物の楽しみがあまりない。やはりアメリカは価格競争が浸透しているのか、日本に比べて圧倒的に安くて、いいものが手に入る。日本もそういうところを見習ってほしいものだ。
たまたま飲みに行ったバーでアルゼンチン人のフィルムスクールの学生と知り合いになり、一緒にビリヤードをして盛り上がった。どこの国行っても映画好きはいるもので、昔の無声映画の話などをしてけっこう楽しかった。
なにせ四日間という短期滞在だったので、それほど自由に遊べる時間はなかった。今度行く機会があれば、ゆっくりとサンフランシスコ観光を楽しみたい。
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on 2005.1.17, 00:00,
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僕のアメリカの印象はすこぶる悪い。
初めてニューヨークに行ったときに、入国審査官に「お前の名前は犯罪者の名前と似てる」というただそれだけの理由で、不当に拘束されたことも一因だ。
名前が似てる・・・・・それだけの理由で人を拘束する国に好感を持つのは難しい。ヒン・ラディンという名前の人は、名前が似ていると理由でアメリカに行ったら殺されるかもしれない。怖い国だ。
そんな僕が明日からサンフランシスコに行く。
旅に行くときは必ず本を携帯するようにしているが、今回は村上龍の「愛と幻想のファシズム」だ。なんだか気合の入り方が違う。
旅で好きな時間のひとつに、乗り物に乗っている時間がある。
そのどうしようもない空白な時間が好きだ。基本的には、存在しない時間であるから、どんな怠惰に過ごしても誰にも文句は言われない。映画を見てもいいし、本を読んでぼんやりと過ごしてもいい。
行きはこれから始まる旅への期待に胸躍らせ、そして帰りは帰りで旅の余韻に浸るのだ。