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on 2004.12.10, 00:00,
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diary.
ミスター・シアストリは村の賢者だ。
牛の乳が出なくなったり、川が決壊しそうになると村人は彼を訪れる。
そんなとき彼はマントラを唱えたり、瞑想をして有益なアドバイスを村人に与える。
僕は彼のアシュラム(瞑想道場)に二週間ほど通った。
北インドの山間にあり、観光客なんてほとんど来ない、とてものどかな土地だ。
彼はよく「昔のおれはもっとすごかった」と言っていた。なんでも話を聞くと、昔は世界中を旅することなく、瞑想すればどこに何が起こっているか見えていたという。それに彼は村一番の踊り手だった。もちろん、踊りなんて習ったことはないのだが、祭りになると駆り出されてトランス状態になり踊り回ったとのことだ。僕が会った頃のミスター・シアストリはいくぶん太り、軽快なステップを踏んで踊る様子は想像できなかったけど。
ある日、村でサンスクリット語で書かれた古文書が見つかった。
デリーから学者が来て、早速それを翻訳する作業に取りかかった。しかし、なかなか翻訳が捗らず、学者は困り果てた。そんなときはミスター・シアストリの出番だ。窮状を見かねた村人に呼ばれた彼は、古文書を見るなりすらすらと翻訳し始めた。驚いた学者は「なんでおまえはサンスクリット語が分かるのだ?いつ勉強したのだ?」と尋ねた。ミスター・シアストリは平然と「前世で」と答えた。
そんな彼にも苦手なことがひとつある。
それがサトリだ。
サトリはミスター・シアストリの友人で、神出鬼没でいつもふらっとやって来ては、またどこかへ消えるという厄介な存在だった。そして、もっと厄介なのが名前の通り、人の心が読めるという。さすがのミスター・シアストリもこれにはお手上げの様子だった。サトリが近くまで来ていると噂を聞くと、彼は落ち着かない。自分の心を読まれて、嬉しい人間なんていないはずだ。それに彼のように一種の神通力のようなものを持ち合わせている人間にとっては、天敵に近い。神秘性も何もサトリの前では効力を失ってしまうからだ。
落ち着かない日々を送っているミスター・シアストリに、大きな問題が持ち上がった。その問題を解決するには、デリーに行く必要があった。けれども、彼はあまり気が進まない。もともと出不精で、できれば村からは一歩も外に出たくないと考えている人だった。そんな彼も、所用があって隣の村まで行くことになった。隣の村程度ならいいだろうと踏んだのが、間違いのもとだった。バスを降りると、そこにはサトリがいた。
バスから降りてくるミスター・シアストリを見るなり、「デリーには行ったほうがいい」と言って、サトリはそのままどこかへ消えてしまった。
インドには摩訶不思議なことがたくさんある。
あの土地に行くと、「まあ、そんなこともありえるだろうな」と思わせてしまう雰囲気がある。輪廻転生という思想が根付いているからこそ、寛容になれるのかもしれない。悪いことをして成功しても、結局は自分にすべて帰ってきてしまう。そう思うと、まっとうに生きたほうが割がいいに決まっている。
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on 2004.12.9, 00:00,
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誰も行かないような南インドの小さな漁村に行ったことがある。
たまたま持っていたガイドブックに三行くらいの紹介文が載っていて、興味が湧いたのだ。
とくに変わったことが書いていたわけではないけど、旅行者が行かないようなところに行きたかった。
村にひとつしかないというホテルに行き、チェックインを済ませた。
そこのマネージャーと思わしき人物から「どこから来た?」とお決まりの質問が投げかけられた。どこに行っても聞かれる質問だったけど、旅先では適当に答えるようにしていた。そのころはスコットランドに住んでいたので、スコットランドからと答えることもあった。日本人だと分かると金を持っていると思われ面倒なことが多かったからだ。
そのときは正直に「日本」と答えた。
マネージャーは突如嬉しそうな顔になり、「おまえがこのホテルに泊まる初めての日本人だ」と言った。そして僕の部屋まで付いてきて、わざわざベッド・メーキングをしてくれた。色々と話しがしたそうだったけど、英語を話す機会があまりないのか、たどたどしい英語で会話が続かなく、シャイな笑顔をこちらに向けるばかりだった。
そのホテルの大きな問題に気づいたのは夜だった。
インドではよく停電が起こる。停電が起こったからといって騒ぐ人間はいない。その夜もいつものように停電が起きたが、なんとも思わなかった。懐中電灯も常備していたし、そんなことにはもう馴れっこだったからだ。
ホテルには発電機が備わっていた。それも当然ありえることだ。そこまでは良かった。問題だったのは、その発電機がすさまじい音を立てて、回転することだ。部屋のすぐ真下に備え付けられていたので、とてもじゃないが寝付けなかった。
どうして夜中に発電機を回す必然性があるのか訝しがったが、インドではそんなことを深く追求しても仕方がない。爆音が鳴る合間にうつらうつらし、ようやく寝入ったと思ったところでまた事件が起きた。僕は夢を見た、それもリアルな夢を。
コウモリに太ももを吸われる夢だ。
痛くはなかった。そしてとくに恐怖も感じない。ちょっとかゆい感じはしたが、それも気のせいだろう。気のせい?いや、気のせいではなかった。ふと目が覚めて、自分の下半身を見るとコウモリがいた。顔はネズミように見えたが、小さい羽らしきものがあった。慌てて手で振り払ったが、妙な感触が太ももに残った。
出血もしておらず、傷跡も付いてはいなかった。
実際に吸いはしなかったのだろう。でも、どうして僕の太もも?ほかに候補はいっぱいあったはずだ。夢であって欲しかったけど、その感触だけは今でも覚えている。旅先であんなパニックに陥ったことは、滅多にない。
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on 2004.12.9, 00:00,
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毎年夏になると海に行っていた。
子供の頃、祖父母が湯河原のちかくに住んでいたので、夏になると海水浴に丸一ヶ月間通った。
その海岸はスイカの食べ残しや、ありとあらゆるゴミが散乱する、およそ泳いで遊ぶには適さないところだった。そして波が高く、何度も溺れかけた。ひと夏もいると、必ず台風が一度や二度はやって来て、浅瀬に遊ぶ子供をさらっていく、そんな危険な海でもあった。
どこの日本の海もそうであるように、沖にはゴムボードが浮かんでいた。そして、それ以上は泳いでいけないように、浮きで囲われている。
小さい頃、その先に何があるのか、ずっと気になっていた。
あれは五歳くらいの頃だったと思う。
一度そのゴムボードまで連れて行ってもらったことがある。行ってみて驚いたのは、まだその先にも海があり、水平線が見えることだった。
漠然とそのゴムボードがその海の終わりを示すものだと思っていた。それ以上先があるという認識は五歳の僕にはなかった。
このまま真っ直ぐ泳いでいくと、どこに行くのか聞いてみた。
連れてきてくれた大人はちょっと考えて「アメリカ」と答えた。
そのとき初めて外国を意識したように思う。この途方もなく遠いかなたには、「アメリカ」がある。単純にそこまで行ってみたいと思った。波にさらわれた子供は「アメリカ」に行くのだろうか、と考えたりもした。それに「アメリカ」の先に何があるのか見たくなった。
たぶん、そうして旅をするようになった。
この先に何があるか見てみたい。
それだけのために。
思えば、あのときゴムボートまで連れてきてくれた人が「アメリカ」と答えずに、「江ノ島」と普通に答えていたら・・・・・・
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on 2004.12.8, 00:00,
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僕の好きな作家でティム・オブラエンというアメリカ人の作家がいる。
彼はベトナムに従軍した経験を元にいくつか小説を書いている。というよりはベトナムの経験を元にしか小説を書いていない。それぐらい強烈な体験だったのだろう。
興味深いことに、戦争は誰の身にも起こっていると彼は言っている。しかし、それがたまたま自分にとっては本当の戦争だっただけだと。日常生活はある人にとっては戦争になりうるし、人間関係で戦争状態に陥ることは簡単だ。仕事が戦争の人も多いだろうし、戦争を放棄して、また違った形の戦争をしている人々も大勢いる。
その体験が小説の素材として、繰り返し使うことができるくらいの体験。どんなにネガティブなものであれ、人間は人生に一度はそれぐらいの経験をする。もちろん、幸せな体験にあることに越したことはないが、人生なかなかそうはうまくいかない。
今まで僕が体験した最も強烈な体験は二つある。そのうちのひとつがインドだ。幸いなことに、この体験はとても幸せなものだった。苦痛もあるにはあったが、喜びのほうが大きい。でも、不思議なことに自分がインドで体験したことを詳しく人に話した覚えがない。表面的なことは何度も話したことはあるが、本当に肝心な話は語ったことはない。べつにもったいぶっているのではないけど、何かを体験するということはそういうことなんだろう。
これからも何度かそういった経験をすると思う。
そういったときに自分に表現の手段があるのは素敵なことだ。写真でも映像でも、また文章でも何でもいい。そういったものを通して、自分の経験を何らかの形に還元していけたらなと。
インドでの体験ですら、まだまだ表現し切れていない気がする。久しぶりにHPにアップするために見たインドの写真を見てそう思う。
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on 2004.11.30, 00:00,
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HPというものを作ってみた。まだ満足の出来とは言えないが一応は完成だ。これからマイナーチェンジを繰り返し、立派なサイトに育てていくつもりだ。
日記というからには現在のことを書くべきだが、書きづらいことも多いので最初は過去の話から掲載していこうと思う。
キャンドルの写真はちょうど去年の今頃、パリで撮ったものだ。去年は12月いっぱいヨーロッパに滞在し、旧交を温めたり新たな出会いをいくつか経験した。そもそもヨーロッパに行ったのは、とあるワークショップに招待されたからだった。そのワークショップにはヨーロッパ各国からとアジアの写真家たちが集まり、マグナム写真家の講義や撮影実習などを行った。そして、みんな一緒のホテルに滞在し、毎晩のように写真やお互いことを語り合った。最初は見知らぬ仲間ばかりで不安が隠せなかったけど、そこは写真という共通の話題があったおかげで、親しくなるまで時間はかからなかった。