望郷

梅雨だ。
この季節になると京都で過ごした頃を思い出す。
京都は盆地なのでただでさえ湿気がすごいのに、梅雨の季節になると湿気がさらに増大し、ジメジメとした空気がまわりを支配する。

僕の隣の家には紫陽花が咲くので、梅雨の唯一の楽しみがその紫陽花を見ることだった。とくにその紫陽花を這えずり回るカタツムリを見るのが好きだった。

京都ほど四季がはっきりと感じられる土地もそうない。
夏は猛暑で耐え難く、秋は紅葉が空気を和め、冬は底冷えし、春には桜が咲く。

もちろん、どの土地にも紅葉があり桜は咲くが、僕が住んでいた嵐山ではその季節になると、完全にあたり一面の景色が模様替えしてしまう。
山々に囲まれているので、その緑が紅葉に変わる様は、子供の頃でも感動して眺めていた。

桜が咲く季節には全国から観光客が集まるので、嵐山はすごい人込みになる。
よくこんな何もないところに来るなー、と子供の頃は感心しながら眺めていたものだ。

ワビサビの世界が分からない子供には、嵐山の醸し出す風情は縁遠いものだった。
世界を旅するのもいいものだが、生まれ育った土地の景色が恋しくなるときもある。

三年ほど嵐山に行っていない。
行く理由がなかったからだ。
何もないところに行く必要はない、なんて思わなくなる年にいつのまにかなってしまった。

GENE BOYDに捧ぐ

ジーン・ボイドのことについて書こうと思う。
彼が亡くなってから、もう半年ほど過ぎた。

ジーン・ボイド

彼と出会ったのはアムステルダムで開かれたドキュメンタリー・カメラマンのための ワークショップだった。
笑顔がデフォルトのやつだった。
僕のなかでは笑っている彼の顔しか思い浮かばない。

彼の死は余りに唐突だった。
フィリピン南部に取材に行き、夕日を撮った帰りにテロリストに額を撃ち抜かれて、即死だ。

そこには意味も理由もない。
ただどうしもない現実が横たわり、僕らが共有した記憶を残酷なものにする。

ワークショップの最後の日に、フランス人のイルダとタイ人のケオとの三人で、20人いるうちの何人と果たして今後連絡を取り合うかお互い話し合った。
そのなかの大多数とはもう二度と会わないことはそれぞれ承知していた。
けれども、ジーンのような形で会えなくなるなんて、そのときの僕らの想像をはるかに超えていた。

すでに20人のメンバーだったうち、名前を覚えているのは半数以下で連絡を取り合っているのは数人になってしまった。

きっとジーンのことは忘れない。
そして、彼の笑顔も僕の中では永遠だ。

僕はこれからも時々、彼のことを思い出し、静かに祈るだろう。
たぶん、それも誰もが寝静まった夜に。
そして、自分の人生を振り返り、精一杯生きようと思う。

シンクロニシティー

プノンペンには見るべきところはない。
多くの旅人が素通りしてしまう場所だ。

cambodia

それなのに僕は二日も滞在した。
時間を節約するためにわざわざ飛行機でバンコクからシャムリアップまで行ったのに、そんなことは意味が為さないものになってしまった。
もちろん、後悔などしていない。

ゲドゥとはプノンペン行きのボードで出会った。
彼はドイツ人の元エンジニアで東南アジア周遊の旅に出て、すでに一週間が経っていた。
今回の旅で五週間ほど東南アジアで過ごした後、一旦ドイツに帰り、それから世界一周旅行へと出るという。

なんでも最初の目的地は東京に決めているらしい。
だから日本人である僕に興味を持って話し掛けてきたのかもしれない。

ボートから降りた僕たちはトゥクトゥクに乗って、同じホテルに部屋を取った。
彼はすべてのドイツ人がそうあるべきかのように、慎ましくまたシャイだった。

部屋で一休みしたあと、近くのチャイニーズ・レストランで遅い昼食を取った。
そして、そのあとプノンペン市内を一緒に散歩した。

その道すがら色々なことを話した。
ゲドゥはエンジニアという仕事自体に嫌気がさし、仕事を辞めて旅に出ることにしたという。一年ほど世界を旅した後、また全く違う職に就くつもりだと淡々と語った。

そういうのもありだなー、と思った。
僕ももっと若い頃、真剣に世界一周旅行に出ることを何度か考えたことがある。
でも今の今まで実現に至っていない。
それはきっとゲドゥみたいに自分の周りの世界に死ぬほど嫌気を差したことないし、また反対によその国にそれほど大きな希望を抱けなかったことが原因だろう。

日本には執着に似た愛情を感じているし、なんだか居心地悪いのが居心地いいという逆転現象が起きている今日この頃だ。

彼の人生は全くのゼロで、僕は正直羨ましいと思った。
ゲドゥは40歳近くなっていたが、そんなことはお構いなしだった。
僕もそのぐらいの年齢になって、果たして自分の人生をリセットする勇気があるだろうか?願わくは、今ほどこの現在というものに執着せずに、淡々と生きていたいと思う。

僕たちはそのあとバーを転々とし、夜中の三時まで遊び歩いた。
本当は翌日にはお互いプノンペンを出るつもりだったが、あっさり計画は頓挫し、そのまた次の日へと繰り越しになった。

翌日、さすがにこのままバーを渡り歩くだけではプノンペンに来た意味がないと思った僕たち二人は、観光をするためにプノンペンの中心に位置する王宮へと向かった。
しかし、その印象はアンコールワットのあとでは余りに薄く、僕たちは涼しいところ、つまるところまたバーへと向かうことになった。

プノンペンはとにかく暑かった。
アンコールワットがあるシャムリアップも暑くはあったが、これほど強烈に暑さを感じることはなかったように思う。
それはおそらくプノンペン自体に僕たちのモチベーションを高める何かが欠けていたこともある。
歩くよりはどこか涼しいところで休むことを選んだ。
それがプノンペンという街だった。

マッサージで体をほぐし、メコン川ほとりで散歩しながらまたお互いのことを話し合った。

僕は彼ほど人生を割り切れていない。
なんだか中途半端な感じだ。
やりたいことは山ほどあるが、どれも徹底していなかった。
それがきっと僕が日本に留まり続ける最大の理由かもしれない。

旅に出るのは簡単だし、人生をリセットするのも簡単だ。
かといって、一つの場所に留まり続けるのもそれほど難しくはない。

結局のところ、どこへ行こうがどこに住もうが関係ない。
生き方の問題だった。

僕たち二人は自分の国から遠く離れたカンボジアの首都であるプノンペンという土地で出会い、幾ばくかのときを共有して、お互いまた違う土地へと向かった。
きっとこれから何度もこういう出会いを繰り返すだろう。
その度に僕は人生における偶然というものに感謝し、自分の人生になんらかの意味を見出すことができる。もしかしたら、そのために僕は旅に出るのかもしれない。

フローズン・ダイキリ

バイクの運転手のサンボは37歳で四児の父親だ。
アンコールワットの遺跡を回るためにほとんどのバックパッカーは、バイクで移動することになる。
彼はたまたま僕が空港から乗ったバイクの運転手で、その押しの強さに負けて二日間のアンコールワットの遺跡を回るためにドライバーとして雇った。

今だからこそ思うが、最初から僕は彼には格好のカモとして映っていたに違いない。
日本人で一人旅、それにタイから安価なバスではなく飛行機で来たということで金は持っていると思われたのだろう。

バンコクからアンコールワットのあるシャムリアップまではバスだと所要時間10時間ほどで、料金は800円前後だ。それに比べ飛行機だと2万円ちかくもする。
うーん、今から思うと何ゆえに飛行機をチョイスしたのか?

なんとなく強迫観念のようなものに駆られて、飛行機に乗ってシャムリアップに行ってしまった。もちろん、そのおかげで旅の運命を決定され幾人かの人々の貴重な出会いはあった。

サンボの調子の良さは最初から顕著だった。
僕もかなり警戒はしていたが、アンコールワットにいるとことでずいぶん浮かれた気分だったし、それに物価の安さがものを言い、なし崩し的に彼のいいなりに近い形で過ごしてしまった。

ディナーには彼のお勧めのローカル食堂に行き、カンボジア流の鍋のようなものをたらふく一緒に食い、ビールをしこたま飲んだ。
もちろん、彼は当然のように同席し僕以上に飲んだ。
「こいつ、こんなに飲んでバイクの運転はできるのか?」と思っていたが、案の定帰りの道でカーブを曲がりきれずに転倒した。
今でもそのときの傷は残っているが、たいしたことなくて本当に良かった。

それでも懲りずにサンボは「ノー・プロブレム。ノー・プロブレム」と繰り返し、ふらふらとホテルまで運転していった。

翌日も前日と同じように昼食を食べるにも休憩を取るにも、はたまたプノンペン行きのボートのチケットを取るにもサンボは容赦なく介入し、自分がコミッションを取れる店を紹介した。
僕も学生の頃とは違い、そういう仕組みにいくぶん寛容になっていたので、明らかに法外な値段でない限りは素直に従った。

日本という国は僕のあずかり知らないところで搾取する側に回っており、いくらか余計に支払うのは何となく義務のような気がしていたのだった。
サンボがいくら僕から儲けたかは知らないが、支払った全部の合計なんてたかが知れている。

彼は口ではひたすら「おまえに楽しい思いをしてもらいたいから色々と世話を焼いている」と言っていたが、ほんと口の軽い男だった。

そんなこんなでこれほどまでに経済的な格差がある両国人がまともな関係を築くことなど、不可能に近いことなのかなどと考えながら、とあるバーに入った。
そこにはビリヤード台があり、一人のカンボジア人がプレイしていたので、一緒にゲームをしようと言って8ボールを始めた。

聞くところによると、彼はこのバーのバーテンダーで名前をソニーと言う。
なんとも覚えやすい名前だ。
それになんとも人懐こい笑顔で笑う。

何ゲームもソニーとプレイし、ひたすら負け続けた。
勝てるチャンスは何度もあったが、ラストショットが入らず負けた。
正直、負けるのも楽しかった。
ソニーはほんとに気持ちのいいやつで、一緒にいて気が楽だった。
英語は片言だったが、その笑顔が良かった。

僕は何杯ものビールとともに戦い、ゲームに負け続けた。

夜も更け、僕はさすがに酔いが回ってバーの椅子に腰かけた。
するとソニーがドリンクをおごってくれた。
特製のフローズンダイキリを作ってくれ、また何杯かは店のスタッフがおごってくれ、ますます夜は更けた。

挙句の果てにはあと少しで店を閉めるから、一緒にディスコに行って踊ろうと誘われた。
しかし、翌日は朝の五時に起きてプノンペン行きのボートに乗らなくてはならない。丁重にその誘いはお断りした。

両国の経済格差などを考えると、僕は彼らにドリンクをおごられるべき側の人間ではないのかもしれないが、そんなことは無意味な話だった。
お互い気持ちよくゲームをし、よく笑いよく飲んだ。
気持ちのいい夜だった。

僕は最後には千鳥足になりながらも、そのバーをあとにした。
「サンキュー」とソニーに別れの挨拶をすると、「サンキュー、トゥー」と言われて笑顔で送り出された。
旅の始まりにしては、上々の滑り出しだった。

一人旅

GW期間中にカンボジアとタイに行ってきた。
久々の一人旅だった。
インドに行って以来の本格的な一人旅と言えるかもしれない。

それまで何度か一人旅はしていたがどれもヨーロッパばかり、多くが友人に会うための旅だった。
今回はバンコクに住む友人に会うという目的はあったが、ほとんどの日を旅をして過ごした。
二週間足らずという短期間の割には、良い出会いをいくつか経験した。
それが旅の醍醐味と言えるだろう。

昔から特にどこかへ行って何かを見たいと思いよりも、見知らぬ土地に行ってそこに住んでいる人々や旅をしている人と話すことに興味があった。
モアイ像やマチュピチュの遺跡よりも、そこにいた人々の痕跡や現在その周辺に住んでいたり、はるばる旅をしてきた人たちに惹かれる。

旅での出会いは偶然の産物であり、一日でも旅程をずらしていれば会えない人々ばかりだ。
日々そんな刺激的な出会いがあれば楽しいかもしれないが、仕事が手に付かなくなるだろう。

まだ帰国したばかりだというのに、すでに次の旅のことを考えている。
チベットか、あるいはベトナムやラオス・・・・行きたい国には事欠かない。

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