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on 2005.11.27, 00:00,
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movie.
「オールド・ボーイ」の監督の新作を観に行った。
「親切なクムジャさん」といういわくありげなタイトルの映画だ。
さすがに「オールド・ボーイ」と比べてしまうと、いまいちの出来だった。
それは当然といえば、当然だ。
北野武も名作「HANA-BI」のあとはしばらくパッとしなかった。
「座頭市」で監督しての力量を見せつけるまで、しばらく時間がかかった。
「HANA-BI」のような作品を撮ってしまうと、自分の創造性のピークを意識してしまう。
そのあとの映画群を見ると、北野監督のその迷走ぶりが理解できるが、プロの監督して撮った「座頭市」は他の追随を許さない出来となり、健在ぶりを見せてくれた。
カンヌでグランプリを獲った「オールド・ボーイ」のパク・チャヌク監督もしばらくは迷走するかもしれないが、また素晴らしい作品を作り上げてくれるだろう。
欲張りな観客たちは常に最高傑作を期待してしまうが、そう何度も創造性のピークで映画を撮ることはできない。
パク監督は北野武よりは監督してもっと成熟した腕を持っているので、次の作品あたりでまたすごい作品を撮りそうな予感がする。
ただ個人的には「オールド・ボーイ」よりもすごい作品なんて想像もできないが。
北野武の荒削りの感性に世界中は熱狂したが、映画のよりテクニカルな部分を駆使して、観客である僕たちを楽しませてくれるパク監督はより深い狂騒へと導いてくれるかもしれない。それが今から楽しみだ。
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on 2005.11.22, 00:00,
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diary.
ふとモロッコに行こうと思った。
それは突然の考えではなく、積もり積もった考えだったのかもしれない。
でも、近所のモロッコ料理屋に入った際に、突如その考えは具体的な思考となった。
最近は折に触れて、モロッコが友人・知人のあいだで話題に上ることが多かった。
ことの発端は、モロッコには素晴らしいアマン・リゾートがあると発見してからだ。
それから、モロッコを夢想するようになった。
今回はアマン・リゾートには行かないが、いつかは行ってみたい。
モロッコへの出発日は2006年の1月1日だ。
一年の始まりを北アフリカの土地で迎えるのは感慨深い。
モロッコはこれまで何度も行こうと試みたが、治安やタイミングの問題で行けなかった国の一つだ。
ベトナムやラオスに行けないのは残念だが、それはまた今度の旅に取っておこうと思う。
そして、いつかは世界をゆっくり時間をかけて周遊してみたい。
世界の存在を頭では理解しているが、体で実際に体感してみないと僕は納得しない。
それまでは、ピンポイントに国々を旅して、世界を夢想することにしよう。
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on 2005.11.14, 00:00,
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diary.
あらゆる物語は語り尽くされている。
その通りだと思う。
最近、旅関係の本をよく読む。
それらのなかに著者がアフリカを旅して、その国の人と恋に落ちて、でも結局は互いの環境の違いを克服は出来ないだろうと判断して、その恋をあきらめるという本を読んだ。
なんだかどうでもいい話である。
僕はよその国のことをよりよく知りたいという知的好奇心で、その本を買った。
それなのに、対して興味のない著者自身の恋愛物語が延々と語られているのだ。
たぶん見当違いをした僕が悪かったのだろう。
ただ、正直な僕の感想を言えば語るに値しない物語をわざわざ本という形にする意味が理解できない。
本人にとっては、素晴らしい経験だったとは思う。
気をつけなければいけないのは、それが第三者に向けても発信するに値する物語かどうかということだ。
稀有な経験をした人ほど、物語を語るにあたって過ちを犯しやすい。
なぜなら、彼らは自分たちが他の人間がなし得ないことをなし得たという慢心があるからだ。
大方の伝記のほうが自伝よりも、面白い読み物になるのはそういったことに関係するのかもしれない。
ノンフィクションの世界では、上記のようなことが起こりがちだ。
フィクションの世界では、ノンフィクションで語られる終着から語られることが多い。
たとえば、その著者がアフリカの人と本当に日本に帰って結婚し、生活したら面白い話になったかもしれない。僕たちの興味は平凡な現実的な判断を下す人間よりも、そういった非現実的な判断を下した人間に傾く。ノンフィクションの世界だとそういったやり方は体がいくつあっても足りないが、フィクションの世界はあくまで自由だ。
肝心なのは、どんな物語でも形を変えてすでに語られているということを自覚することだと思う。それでも、語ろうする人はそれだけのものを備えているはずだ。そうでなくては読み手に失礼になる。
前回紹介した沢木耕太郎は「深夜特急」を書くのに、10年近くも経験を熟成させた。その過程で伝えるに値すると思ったものだけが残り、多くの人の共感を呼ぶことができたのだろう。
語ることがないのは別に恥ずかしいことではない。
でも、語ることがないのに語ろうとするのは自らの恥をさらすことになる。
誰もが主張する必要もないし、正しい必要もない。
僕たちは僕たちなりのペースで生きて、可能性を追求していけばいいのだ。
その過程で他者に語るに値する物語があれば、語ればいい。
焦らなくてもいい。
あらゆる物語は語り尽くされているのだから。
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on 2005.11.7, 00:00,
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diary.
“旅行とは目的地に着いたときに、帰りのことを考えるもの。
旅とは帰ることを考えないもの” ポール・ポウルズ「シェルタリング・スカイ」
今日は夕方から、ひどい雨になった。
こんな日は外出を控えるに限る。
本屋で沢木耕太郎の「深夜特急」を特集している雑誌を見つけて、購入する。
バックパッカーならば、誰でも知っている本だ。
旅のバイブルといっても過言ではない。
個人的に彼の旅の最終地点であったロンドンに辿り着いた、その後のことが気になっていた。
購入した雑誌にはそういったことが詳しく本人自ら書き記しているので、欲求は十分に満たされた。
彼も自分の本に詳しく書いているが、旅に出るとふと「このまま帰らなければ、どうなるんだろう」と思う瞬間が多い。とくに一人旅のときは、その疑問に常に向き合う旅になりがちだ。
さすがに最近、一人旅に出てもそこまで強くそう思うこともなくなった。
20代前半頃の旅は、どこにいくにも一人だったし、どこに住んでもいいと思っていたので、よくそんなことを夢想しながら旅をしていた。
旅と旅行の定義は色々あるが、映画「シェルタリング・スカイ」の冒頭で述べられているように、旅とは本来帰ることを考えないものなのかもしれない。
インドやタイ、あるいはロンドンやパリのように土地の吸引力が強いとこに行くと、今でも時々帰るのが億劫になる。
もちろん、億劫になるだけで本当に帰ってこないわけではない。
ただ少なくても、日本に居心地の良さを感じるよりは、海外に居るときの方が居心地良いと感じている自分のほうがバランスは取れている気がする。
逆説的な言い方かもしれないが、自分の居る場所に安住するようになったら、成長もないし、つまらない毎日になってしまう。
個人の衰退が始まるのは、年齢によってではなく、成長を自ら諦めることによって始まるのかもしれない。
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on 2005.10.31, 00:00,
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diary.
Enjoy yourself!」とホームステイ先に滞在しているときによく言われて「そのyourselfとは何か?」と非常に悩んだと話してくれた人がいた。
正直戸惑った。
その人は東大を出て、一流企業に就職し、ひたすら働いてきた人だった。
なので、半年ほど海外に出たときに初めて「自分とは何か?」という疑問を抱いたのかもしれない。
勉強でも仕事でもがむしゃらに打ち込めることがあるのは、とてもすごいことだ。
でも、何かに打ち込むだけでは満たされない。
一番重要なのは、myself=自分自身なのだ。
とりあえず、物事は始めることに越したことはない。
失敗すると分かっていても、進むべきときは多々ある。
ただその人にみたいに、一直線に猛烈な勢いで走ってきた人は、止まる事を覚えないとパンクしてしまう。
自分を楽しむ、いや楽しませることを覚えないと、生きていくこと自体辛くなってきそうだ。
自分を楽しませるには、必然的に自分自身について自覚が必要だ。
自分のことを理解していない人は、本当に自分を楽しませることはできない。
そういえば、僕がこのあいだとある高名な占い師に占ってもらったとき、「あなたみたいな人は損得勘定などではなく、楽しいか楽しくないかで判断したほうが人生うまくいく」と言われてしまった。
今までの人生の節目節目を振る返って見ると、確かになんとなくノリで決めてしまっていることが多い。
なんとはなしに、「こっちのほうが楽しいだろう」という感じで決断している。
人生急いだところで、どうせ壮大な遠回りになる。
それならば、楽しんだほうがいいに決まっている。
Enjoy yourself!