Posted
on 2006.3.14, 00:00,
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diary.
今日、久しぶりに荷物を整理した。
生きれば生きるほど、ゴミは溜まる。
人生の総量なんて、ゴミの数で決まるといっても過言ではないのかもしれない。
どうして捨てられないのだろう?
とりあえず取って置こう思ったものなんて、たいてい二度と必要ない。
そのまま放っておくと、いつしか本当に必要なものですら、どうでもいいものに紛れて見失ってしまう。
現実のゴミの問題に話を戻そう。
自分が撮った写真が掲載された雑誌群が大事にとってある。
もちろん、ゴミではないのだが、すでに邪魔になってしまっている。
愛着のあるものもあるが、そういったものの多くはプリントにして取ってある。
なんのために今までこのような大量の雑誌を何年のものあいだ取っていたのだろう?
誰かに見せるためだろうか?
よくは分からないが、惰性なのかもしれない。
しかし、いざ捨てようとなると中々捨てられない。
でも、捨てる決意をした。
ふとこう思ったのだ。
十年後、自分に子供がいると仮定したとき、果たして自分の仕事だと言って
それらの雑誌を見せることができるだろうかと。
ひとの価値というものはそうことで決まるのかもしれない。
自分イコール、といえるようなものを作り上げる必要があるのだ。
もしかしたら、一銭にもならないかもしれないが、そういった価値観で生きていけたらと思う。
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on 2006.3.6, 00:00,
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diary.
空を見ることが好きだった。
小学生の頃、空ばかり見ていて先生によく叱られた。
新鮮味のない授業を聞いているよりは、雲の流れなどを見つめているほうが楽しかった。
きっと変化が欲しかったのだろう。
雲は風で流されるので、それでようやく自分もどうやら前へ進んでいるらしいという気になった。
小学校二年生くらいの頃、校庭でみんなが楽しそうに走り回ったり、ドッチボールをしたりするのを見て、「彼らは本当に楽しいのだろうか?」と思ったことがある。
「こんなに毎日毎日同じことを繰り返して、本当に彼らは楽しいのだろうか?」と僕はそのとき心の底から疑問に思ったのだった。
そして次の瞬間、隠さねばならないと感じた。
自分がドッチボールなんてすでに興味を失くし、一緒に走り回ったり、意味のないことで笑ったりすることに本当に飽き飽きしていることを他の子に知られてはいけないと直感した。
そのとき、自分があと四年間も同じような毎日を送らねばらないことを自覚していたのだ。
きっと多かれ少なかれ、みんなうんざりしていたと思う。
変わり映えのしない学校生活に。
日常生活とはそういうものかもしれない。
毎日が冒険であるはずがないのだから、規則正しいルーチーンこそが生活を支えている。
たとえば、毎朝七時に起きたり、犬を散歩させたり、定時に会社に出勤したりすることだ。
そういったことは儀式に似ている。
やらねばいけないことは、やらねばいけない。
しかし、自覚しているだろうか?
もっと豊かな生活があるのかもしれないと。
僕は毎日つまらない授業を聞いたり、楽しくもないドッチボールをしたりはしたが、心の奥底ではもっとましな意義がこの人生にはあると信じた。
だからこそもっと先に進みたいと思い、当時行った自分の判断には従うことはなかった。
そのスタンスは今でも変わらない。
今抱えている悩みなんて、一年後にはどうでもいいことになっていることを知っている。
そして、その証拠に去年何にそんなに悩んだかなんて今となっては思い出せもしない。
今日、ギャラリーに行ってモロッコ写真展について、色々と決めてきた。
初めての写真展なので、正直不安はあるがなんとかなるだろう。
タイトルは「Time, Travel, Morocco」とそのままフォトダイアリーのタイトルをつけることにした。
開催時期は正式決定ではないが、GW直前から五月半ばまでを予定している。
とても楽しみだ。
いつしか写真でお金をもらうことをばかりを追いかけて、なぜ写真を撮るのかということを忘れてしまった。
この個展を期に、そういったものを一度リセットできたらと思う。
ロンドンから日本に帰国して手当たり次第に雑誌に電話をして営業をした頃を思い出す。
営業に行った先の編集者はたいてい「何かあったらお願いします」と言って話を切り上げた。
馬鹿正直の僕は、それを肯定の意味だと思い、ひたすら連絡を待ったものだ。
同じような話をギャラリーの人から聞いた。
とくに海外に行って帰ってきた人間は、しばしば日本式のNOを理解できずに妙な期待をして、落胆してしまう。
誰もがわかりやすいものを求めているし、得体の知れない人間に仕事を与えるほど余裕はない。
今日何気なくテレビをつけたら、歌番組をやっていた。
J-POPと言われる歌を延々と流していたが、僕にはどれも同じにしか聞こえなかった。
結局、そういうことなのだろう。
似たものを似たものが補う、それぐらいしか求められていない。
別に現状を嘆いているわけではないが、今自分がどうありたいかということを問う時期だと思う。
人生なんて賭けるものは自分自分しかないのだから、今年はなるべくその可能性にすべてを賭けて、どうなるか見てみたい。
何を持って成功かということを推し量るのは難しいが、やるだけのことはやって満足感を得たい。
自己満足に終わることなく、得るべきものは得られるようにそれなりの仕掛けはしたい。
ひとつだけ確かなことは、二回も個展をする予定なので、今年は貯金することは無理だということだ。
なぜそもそもモロッコだったのか?
同じようにモロッコを旅した友人と共に、色々と考えを巡らしてみた。
べつにチベットでもベトナムでもラオスでも、どこでもよかったはずだ。
ただ刺激が欲しかっただけなのかもしれない。
でも、やはりモロッコでなくてはならない気がする。
人は伊達や酔狂で、二十時間以上もかけて異国へと赴かない。
なにかしらの予感、あるいは確信めいたものがあるはずだ。
結論から言えば、自分にとってモロッコとは砂漠であり、その青い空であり、写真を構成するにあたって必要なものを提供してくれたかけがえのない国だった。
僕の中にはモロッコに行く前にモロッコ的なイメージが頭のなかに出来上がっており、それを実際にこの手で作り上げたかったのかもしれない。
今回の旅では僕のなかでは定番となっているポートレート写真を一枚も撮らなかった。
それは自分の中ではモロッコ的ではなかったからだ。
「ものとは、ひとの眺めるその眺めかたに従って存在する」とオスカー・ワイルドは書いている。 人は自分なりの現実を知らず知らずのうちに作り上げている。
現実とは、各人の見方によって存在しているといっても過言ではない。
表現者とは、きっと自分の現実をほかの人と共有したいと思っている人種のことだ。自分が見ているこの素晴らしい世界を心底共有したいと思っている人々が、芸術家と呼ばれる人々だと思う。
モロッコから帰ってきて、自分が撮った写真を多くの人に見せた。
たいていの人の感想は、「本当にこれが現実なの?」とか「砂漠に字を書いたのは、やらせ?」とか様々な意見が出た。
個人的な意見で言えば、べつにやらせでも何でもいいのだと思う。
それが最初からきちんとした意図を持って撮影されたものであれば、作品と言えるのではないだろうか?
でも僕が実際に撮った写真は、特殊加工などしていないし、やらせなど一切ない。
ただ目の前にある僕の現実を切り取っただけだ。
たまたま撮れたといえる写真ばかりだ。
だが、そのたまたまは一瞬しかない。
それだけのことだ。
自分自身の未熟さは人から指摘される前にわかっているけど、自分にとって当たり前に見えているものが、ほかの人には見えていないことがあると自覚することはとてもためになる。
そして、それは別に自分が特別とかそういうことではなく、きっと皆がお互い無自覚に共有している現実というものが、じつは本当は絶対的なものではなく、解釈次第でどうとでもなるということに他ならない。
お互いに自分たちの現実を共有もせずに生きていくこともある。
誰もがほかの人間が見ている現実を見ることはできないからだ。
だが感じ取ることはできる。
もっと混ざり合って、感じ合っていくうちにいつしか自分が満足いくような作品が生まれるのかもしれない。
つづく
砂漠の朝はゴージャスだった。
強烈な朝日に照らし出された砂漠はなんとも神秘的で、筆舌に尽くし難いとはこういう光景のことをいうのだろう。
砂漠以降のモロッコの風景はどれも色あせて見えるほど、砂漠の光景は印象深かった。
あの砂漠を見ただけでも今回の旅には意味があったと思える。
砂漠からの帰り道は、過酷だった。
ワルザザートからマラケシュまで本来ならばバスで三時間の道のりなのだが、大雪に見舞われ16時間もかかってしまった。
遅々として進まないバスには、普段だとイライラするのだがモロッコにいるとそんなことでも受け入れてしまう自分がいる。
外の猛吹雪を見れば、時速三キロだろうが進んでいること自体に感謝の念さえ覚えるくらいだ。
国も違えば、自分の許容範囲も広がるものだ。
ようやくマラケシュに着きホテルも決まったところで、ちょうど同じようにチェックインしようとしていた中国系オーストラリア人の青年と仲良くなった。
彼の名前はマリオ、その名前のおかげで不幸な幼少時代を送ったらしい。
ひたすら「スーパーマリオ」とからかわれた彼は、ここモロッコでは「ナカタ」呼ばわりされてからかわているという。
もし「中田英寿」の名字が「綾小路」や「武者小路」ならば、どうなっていただろう?
われわれ日本人、ひいては中国、韓国をなどのアジア人たちはここまで全世界的に「ナカタ」呼ばわりはされなかったのではないか?
ナカタ・・・・なんて外人にとって発音しやすい名字なのだろう。
これも彼が海外で最も成功を収めたサッカー選手となった所以かもしれない。
日本嫌いのほかの韓国人や中国人たちが地球の裏側まで旅して、「ナカタ」呼ばわりされていると思うと、なんだか世界が少しは平和になる気がするから、やっぱり「ナカタ」でよかったのだろう。
そんな名前の因縁を持つマリオとともにマラケシュは歩き回った。
彼にとっては初めての街だったが、自分のとっては二度目だったので、地理はだいたい頭に入っていた。
取りとめのない話をしながら街をぶらつく。
僕が旅でいちばん好きな時間かもしれない。
お互い一人旅ということで、似たもの同士であったから話は途切れることはなかった。
マリオとの話で興味深かったのは、オーストラリアで育った多くの中国人は中国人同士でしか親交を深めようとしないらしい。べつに語学の問題はまったくなく、誰もがネイティブ並みの英語を話すらしい。
ロンドンやパリなどの大都市では語学ができないばっかりに、日本人同士でしか仲良くなれない人々が多いが、それとは全く別問題らしい。
アイディンティの問題だろうか?
やはりオーストラリアは自分の国ではないから、それを引け目に感じているのだろうか?
あるいは中国人の血を誇りに思って、外国人であるオーストラリア人とは親しくならないと心に決めているのだろうか。
マリオもなぜかは分からないと言っていたので、部外者である自分が解ける問題ではないが、色々と考えさせられる問題だ。
個人的には自分と違う価値観を持つ人間といるほうが刺激的で面白いと思う。
だから僕はロンドンや東京など多種多様な人間が集まる大都市が好きだ。
だいたいひとつの価値観しかなく、ひとつの人種しかいない世界なんて、存在するに値しない。
世界がなぜ存在するか、ということを根本的に突き詰めていくと、その多様性を人類に認知させるためなのかもしれないということに思い当たる。
言い換えるならば、「色んな人間がいるんだから、そいつらとうまくやれよ」ということになるのだろう。
そういえば学校では多数決が正義だった。
「それじゃあ、多数決で決めようよ!」とクラスの優等生くんは言う。
僕はよく「それじゃあ」の意味が分からない、と突っ込むようなませたガキだった。
今でもそのスタンスは変わらない。
つづく