ワールドカップ

柳沢や高原は素晴らしい才能を持った選手だと思う。 ゴールを決めること以外の仕事では、ロナウドよりも能力はある。
でも、その肝心のゴールという結果だけで評価されるポジションがフォワードだ。

国民性といったら仕方がないのかもしれないが、シュートという責任を取るのが彼らは恐れているように見える。

ロナウドやアドリアーノなんて、柳沢のように色々な可能性を吟味して最善の選択する、なんてことをゴール前で考えていない。

彼らはゴール前では、自分がゴールするという強い意志以外なにもない。あわよくば味方のボールを奪ってでも、シュートしてゴールするのが彼らのメンタリティだ。

クロアチアには勝つしかなくなった。でも案外こういう状況のほうが日本の選手は吹っ切れるかもしれない。

アジアカップの再現は難しいかもしれないが、逆境に強いのが今の日本のチームだ。負けず嫌いのジーコだから、次のゲームにはなんらかのショック療法を仕掛けてくるだろう。

ツートップ総入れ替えぐらいのことはしてもいいと思う。どうせ後がないなら、巻を入れてガムシャラに前へと進んで欲しい。

メタルマクベス

メタルマクベスというミュージカルを見た。
劇団☆新感線は噂ではよく耳にしたが、実際見るのは初めてだった。
http://www.vi-shinkansen.co.jp/

脚本はクドカンだけあり、凝りに凝っていて、なおかつ面白い。
シェイクスピアを心から敬愛するイギリスの人々が見たら、激怒するかもしれないが、マクベスという古風な演劇を現代風に解釈したら、あながち間違った解釈とはいえない。

それに役者がとても輝いて見えた舞台だった。
なかなかそういう舞台は少ない。
特に松たか子さんは完全になにかを吹っ切ったのか、素晴らしい演技を披露している。

演技力など細かいことはよく分からないが、存在感というもの関しては分かる気がする。
人物写真を撮るとき、一番重要だなと思うのがその存在感だからだ。
大勢の人がいるなかで、その人だけが一段と輝いて見えることは、それはすでに才能と言える。

演劇の醍醐味はそのライブ感だ。
以前は、映画にしか興味がなかったが、演劇のライブ感を味わうと、けっこうはまる。

来月は、以前レプリークという雑誌で撮影させていただいたご縁で、舞台を見に行ってすっかり大ファンとなった宇宙レコードの公演がある。
待ち遠しい限りだ。

発展的ななにか・・・・

写真展が終わった。 ふと、どうして僕は写真展をやろうと思ったのかと思いを巡らす。

僕はきっと不器用な人間だと思う。もっとうまく生きれたらと思う。ここ1、2年で周りの環境が劇的に変わり、それに対応するだけの何かを捜し求めている。

写真展はそういった試みのひとつだ。

Morocco

区切りをつけたかった。これからも旅をするだろう。それは生まれ持った宿命みたいものだ。今まで以上に、色々な場所や違う価値観を持った人々に会うと思う。

僕はいちいち反応してられない。外の人間に対して、彼らが望むような反応をするほどウブではなくなった。人のために生きるほど自分自身は充実していないし、そんなひまもない。

写真展に来てくれた人々を見ながら、様々なことを考えた。彼らもまた異世界に憧れて、見も知らない写真家の個展に来てくれた。

その期待に十分に応えられた自信はないが、これほど多くの人がそんな気持ちを抱いているとは新鮮だったし、純粋に嬉しかった。

僕はもっと知りたいし、経験をしたい。そして、それらを共有したい。

その手段として、自分にとって最も有効な手段が写真だということが、今回の個展であらためて理解した。

今まで不特定多数の人に対して、写真を撮ってきた。それから得たものはそれほど多くはないが、生きていくためには必要だった。

写真展は、特定の人々を対象にしたものだ。その場所にいかないと、それらの写真は見れない。そんな単純なことがとても新鮮だった。

劇的な変化は望んでいない。少しずつ、変わりたい。

Travel, Time, Morocco(6)

個展が始まった。 オープンニングパーティーには大勢の人が来てくれて、大盛況だった。 この場を借りて、御礼を申し上げます。

Morocco, desert

これがはじめての個展だ。
今まで何回か個展をやろうと思ったことがあったが、決断するまでには至らなかった。
今回は様々な偶然が重なり、モロッコから帰国してわずか四ヶ月のうちに個展が開催されることになってしまった。
勢いというの非常に大切だ。

色々な人から、フィードバックがあり、ためになる。
本当はこういう写真が撮りたかったのだなと痛感した。
写真を始めた頃はお金に目がくらみ、ファッションなどの商業的な写真に目がいってしまったが、写真を始めた理由はもっと純粋な動機だ。

自分自身だけでは満足できないのだと思う。
自分が考えていることや感じたことを、ほかの人々と共有したいのだ。
その手段として、たまたま写真を選んだ。

写真というメディアの一番の特徴は、それはあくまで現実であるという縛りだ。 作為性がある写真も多々あるが、それを突き詰めていくと絵画と同じような表現手段になる。そうなると、絵を描いたほうがよほど効率がいい。

アンリ・カルティエ・ブレッソンは「決定的瞬間」という写真集で一世を風靡した。
写真というメディアを端的に表しているタイトルだと思う。
それはあくまで瞬間であり、それ以上でもそれ以下でもない。

写真はストーリーを見る人に感じてもらうには最適なメディアだ。
ストーリーを語らせるということになると、映画や小説の世界になってしまうが、写真は一枚の写真から全体のストーリーを内包するだけの力があるメディアではある。

解釈は苦手だ。
感じてくれればいい。
僕が撮った写真を見て、その人々がモロッコへ行って気分になったとしたら、それは僕の意図が成功を収めたということだ。

Travel, Time, Morocco

子供の頃から、旅することを夢見ていた。
成長し、旅が出来るようになる年齢になると、旅することに夢中になった。

だが、その熱中も長くは続かない。
その転機となったのはインドへの旅だと思う。
インドに三ヶ月居て思ったのは、これほどまでの興奮と刺激を再び旅することで得ることは難しいということだ。

それでぴたりと旅することを止めてしまった。
もちろん、仕事などで他の国へ行ったり、ヨーロッパに住む友人たちに会いに行ったりはした。
でも、それらは厳密の意味で旅とはいえない。

旅を定義することは難しい。

ただひとつ言えることは、旅は物事を早く経験するためにはとても有効な方法だということだ。
若い頃の自分は、待つことなどできなかった。
とにかく早く、誰よりも早く生きたかった。

そうして、インドを旅して10年経った。
僕はモロッコへと旅立った。

もう興奮や刺激などは求めていない。
日常生活でもそれらを手に入れる術を身に着けられるように努力もしてきた。
20代の頃のように、やみくもに誰とでも友達になろうとしなくなった代わりに、信頼できる友達の数は増えた。
そして、いくばくのストレスを抱え、責任も増え、漠然とした将来の不安も抱えている。
ようはあらゆる意味で年を取ったということだ。

旅へのアプローチの仕方も変わり、興奮や刺激を求める代わりに、違う何かを求めている。

今回は初めて、写真を撮りに旅をした。
純粋に知らない土地に行って、自分自身だけが見たり聞いたりするだけでは満足できなかった。
自分が見て聞いて、感じたものを人に伝えたかった。

自分自身をそとに向けるのに、10年もの月日を要した。
長くはなかったかもしれないが、短くもない。

人に何かを伝えるほど豊かな人間ではないかもしれない。
しかし、それを補って余りあるほどに、世界には美が転がっている。
それを拾って、丹念に磨き、少しでも伝わりやすい形に還元できればと思う。

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