癒しのレンソンス

まるで冷凍庫のようだ。
サルバトールのバス停から、レンソンス行きのバスに乗ったのだが、冷房が効きすぎて、半袖短パンではとてもではないが耐えられそうになかった。幸いなことに、バスのなかに衣類の入ったリュックも携帯しており、奥底に埋まった長袖のシャツを引っ張り出して寒さを凌いだ。

日本の電車やバスも夏は冷房が効きすぎているが、そんなものは比でなく、本当に凍え死ぬかと思ったくらい寒かった。サルバトールに関係するものは、すべてがやりすぎで効きすぎなのだろうか。

朝7時発のバスは、昼過ぎにはレンソンスに到着した。
あたりにはのどかな風景が広がっている。街の雰囲気もサルバトールのようにどこか殺伐としたものではなく、身の危険など微塵も感じさせないくらい穏やかなものだった。

Brazil, レンソンス

ここでしばらくのんびりするのも悪くないと思い、ホテルに腰を落ち着けると、カメラを片手に街を散歩した。この街ではカメラを持っていても、警戒することもされることもなく、また獲物を狙うような目つきをした獰猛そうな男もいない。子供たちが狭い路地を駆け回り、女性たちが洗濯物をゆっくりとした動作で干している。男たちといえば、相変わらず昼間からビールを飲み、タバコをふかして笑いに興じている。南米というよりは、南仏のようなのどかな牧歌的な風景だ。

ブラジルに来て初めて、身の危険を感じなかった。
それが日本では当たり前だが、ブラジルではとても新鮮に感じた。

人の気配におびえることなく、初めて撮影する自由を得た。歩き回るうちに夕方になってしまい、川に反射する夕日が美しかったので、川沿いに歩いていった。川の上流は平坦な岩場となっていて、そこは街の洗濯場となっているらしかった。女性たちが洗濯をしているそばで、子供たちが飛び込みをしたり、日向ごっこをしたりしている。サルバドールの熱狂のあとでは、こういう風景に心癒される。

Brazil, レンソンス

日が暮れたので、赤い壁が綺麗なイタリア料理屋に入った。最初はピザでも注文しようかと思ったが、気が変わってパスタとサラダを注文した。とにかく肉ばかりの毎日だったので、少しはヘルシーなものを注文しようと思ったのだった。

食事も済み、あたりを眺めながらビールを飲んでいると、40歳過ぎの金髪の男性が自分のテーブルに近寄ってきて、「座っていいか?」と聞いてきた。二人用のテーブルだったし、ほかにテーブルが空いていたので変だなと思ったが、悪い人間には見えなかったので「O.K.」と返事した。

しばらくして彼のほうから話しかけてきて、名前はカイといいハンブルク出身のドイツ人であることが判明した。なんとなく普通の観光客とは風情が違ったので、「なぜブラジルに来たの?」と聞くと「It’s a long story….(長い話になるよ)」とカイが答えた。そうなると詳しく聞かないわけにはいかず、彼が言う長い話を聞くことにした。

カイはブラジルに来るまでは、インドに半年ほど滞在しており、そこでブラジル人の女性と知り合ったとのことだ。そこで二人は恋に落ち、そのブラジル人女性がサンパウロに帰ったのを追って、彼もブラジルに来たのだという。

その女性も同じ年くらいで、サンパウロに帰るまでは20年以上もインドに住んでいたとのことだ。カイとその女性は、彼女の両親の家に一緒にしばらく暮らしていたが、カイはサンパウロとその環境に嫌気が差して逃げてきたのだという。

レンソンスに来るまでは、サルバドールに一週間ほど滞在していたとのことだった。彼は観光ビザではなく学生ビザで来たので、いつかはサンパウロに帰ってポルトガル語の勉強を再開しなくてはいけないが、それも億劫になったらしい。カイはとにかく計画を立てることが苦手だという。「きみはどうやって計画を立てているんだ?教えて欲しい」と真顔で言われた。

サンパウロに行くのは嫌だし、かといってサンパウロに滞在していないとビザの関係上不都合が生じるらしい。自分なら嫌でもサンパウロに二、三日滞在して、とっとと手続きを済ませて、よその街に滞在して自由を謳歌すると思うが、彼はどうやらそういう思考回路の人間ではないらしい。嫌なことはとことん最後までとっておく、そんなタイプの人間だった。

カイはドイツではフリーのコピーライターとして働いているので、時間はかなり自由になるし、もう働くのにも飽きたとのことだった。旅先でドイツ人とよく会うが、彼らは時々こんなことを言う。そして30代半ば過ぎても平気で職業を変えるから、困ったものだ。日本の終身雇用制の話など、彼らにとっては冗談みたいな話だろう。誰だって本当は10年も20年も同じ仕事をすれば飽きるかもしれないが、誰も彼らみたいに表立っては言わないし、行動には移さない。ドイツ人は意外と柔軟な考え方をする人が多い。1年間に5週間もの休暇が国民全員に与えられるから、海外に出て様々な考え方の人たちに触れて、頭が柔らかくなるのかもしれない。

Kai

二人とも料理を食べ終え、しばらくビール片手に話していたが、どこか違う店にでも行くかということになり、イタリア料理屋をあとにした。

レンソンスは中心にある二、三本の通りに店が密集しているので、店選びは簡単だ。街の中心にある広場に面した店に入り、ブラジル初日に飲んで痛い目にあったカイピリーニャを二人揃って注文した。

カイにカイピリーニャを飲みすぎた話を話すと、にっこりと微笑んで「Let’s get a little bit drank, tonight!(今夜は少し酔おう)」と言った。

なんだかその表現が面白かった。個人的に使ったことのない表現だなと思った。「今夜は酔おうぜ!」という言い方は時々するが、それに「少し」とつけ加えることはないなと思った。そんなところにカイの人柄が出ていると思った。

40歳を過ぎると、そういう表現ができる大人になるのだろうか。
一杯目のカイピリーニャを飲み干すと、約束どおり「少し」酔うためにもう一杯注文した。

カイはしばらくレンソンスに滞在予定だという。
彼のビザは4月まで有効なので、まだ十分時間がある。それに引き換え自分には残され時間は少ない。だが、こういう街に一週間ぐらい滞在してのんびりするのもいいかなと思った。

彼みたいな人は、街に最低でも一週間はいて、そのあと違う街に行くかどうか決めるのだろう。半年も自由に旅する時間があれば、それも可能だ。40歳ぐらいになったら、仕事に飽きたといって半分引退して、地球の裏側まで恋に落ちた女性を追いかけてくるのも悪くはない。

計画も重要だが、カイのような軽さと情熱も重要だ。でも、真顔で10歳以上も年を離れた初対面の人間に「計画ってどうやって立てるんだ?」と訊くのは、どうかとは思う。

カイとはe-mailアドレスを交換して、別れた。同じ街に滞在しているので、縁があればまた会うし、なければまた違う街で会うかもしれない。

旅の出会いとは、常にそういうものだ。

A Long Vacation

朝起きると、自分が一瞬どこにいるのか分からなくなった。
ドミトリーの二段ベットの上段に寝てたので、身体感覚が少しおかしくなっていたのかもしれない。目を開けると、数人の人たちが寝息を立てているのが見える。他人が寝ているところを見るのは、実生活では稀なことだ。とくに口も利いたこともない赤の他人の寝顔を見るのは、そうあることではない。寝ているとどの顔も似たような顔に見えてくる。起きているあいだは、顔つきや肌の荒れなど気にしている人も、寝ている姿はどこまでも無防備だ。同じ人間なのだから、見かけほど大きな違いなんてないのかもしれない。

時計を見ると、まだ7時前だ。しかし、完全に目が覚めてしまったので、ベットから起き上がり階下のダイニングルームへと降りていった。そこには無料で使えるパソコン二台と、大きなソファと小さなテーブルが置かれている。そしてダイニングルームを抜けると、テラスがあり、みんなが一緒に朝食が取れるように大きなテーブルと椅子が置かれている。

時間潰しのためにネットで英字新聞を読む。日本語のフォントがインストールされていないため、日本語のサイトが見れないのが残念だ。しばらくすると、オーナーのマルコが顔を出したので、駄目もとで日本語のフォントのインストールを頼んでみた。

「たしか去年泊まった日本人は一人か二人かな・・・・・」といってホステルの掲示板を見に行った。掲示板には2006年度の宿泊客の国籍を円グラフにしてある紙が貼ってあった。グラフを見ると、日本人は掲載されていなかった。ホステルはまだ営業開始をしてから、二年ほどだと聞いていたので、ホステル初の日本人なのかもしれない。

たいして時間もかからず日本語のフォントはオーナーのマルコの手によって、無事インストールされた。今後日本人が宿泊しても、日本語サイトを閲覧できるようになったが、果たして何人自分のあとに続くのだろう。

マルコは世界中を旅しているイスラエル人で、若いアルゼンチン人の彼女がいるらしい。彼は40歳を超えているが、すでに三回結婚しているとのことだ。さまよえるイスラエル人はどうやらかなりもてるらしい。

ネットのスピードは異常に遅かったが、なんとか自分のメールもチェックできて満足だった。そうこうするうちに朝食を食べに人が集まってきた。なんとはなしに自己紹介が始まり、それぞれ今までどこに行ったか、あるいはこれからの予定などについて話し合った。

だらだらと話しているうちに10時近くになったので、銀行に行ってお金を下ろす必要もあり、出かけることにした。

Brazil

銀行へ向かう途中、せっかくブラジル音楽のメッカであるサルバドールにいるのだから、CDの一枚でも買って帰ろうとCDショップに入った。たまたまかかっていた音楽を非常に気に入ったので、店にいたおばさんに誰が歌っているのか聞いてみた。マリーザ・モンチという女性シンガーのアルバムだった。そのまま迷わず購入した。

銀行に行って4万円ほど下ろし、しばらく歩いたあと、早めにランチを取ることにしてレストランに入った。そこは何キロでいくらというポルキロと呼ばれるレストランで、中国系の人が経営している店だった。ブラジルに来てから、よくこのような皿に載せた料理の重さによって料金が決まるビッフェ形式のポルキロにお世話になっている。(ちなみにポルキロはポルトガル語でキロ当たりという意味で、そのあとに料金が明示され明朗会計となっている)

ランチのあと、普段はせいぜい5000円ほどの現金しか持ち歩かないようにしていたので、4万円もの大金を持ち歩くのが不安になった。ホステルに一度帰ろうかと思ったが、お金はポケットに入れずリュックの奥底に入れたので、すられることもなかろうとそのまま街を徘徊した。

旧市街のぺロウリーニョはすでに何度も歩いて飽きたのでで、中心部から少し外れたところを歩いてみた。洋服屋が軒を連ねる大通り沿いを歩いていると若い男が近寄ってきて、「おまえ、そのカメラしまったほうがいいぞ。こんなところでそんなもの出していたら、すぐに盗られるから」ということを身振り手振りを交えて忠告してくれた。こんな大通りでも危険なのかと思ったが、彼の忠告には素直に従い、一眼レフはリュックにしまい込んだ。

その大通りからちょっと入ったところに、小さな集落があり洗濯物などが干してあった。そこを子供たちが駆けずり回っていたので、興味を覚えて覗いてみた。リュックにしまい込んだカメラをいちいち引っ張り出すのは面倒だったので、ポケットに入れていたコンパクトカメラを出して写真を撮った。

Brazil

ひと通り撮影し、満足したのでその集落をあとにした。するとちょうど入り口付近にさっきとは違う若い黒人の男が待ち構えており、なにやら話しかけてきて握手を求めてきた。お疲れ様という意味なのかなと勝手に解釈し、思わずその手を握ってしまった。それが致命的なミスだった。早くこの場を去ろうと、握られた手を引き離そうとしたが、手を離してくれない。

あっと思った瞬間に手をぐいと引っ張られて、引き倒されたしまった。そして次の瞬間にはどこから現れたのかもう一人の男が後ろに回り、羽交い絞めにされた。あまりのことに何が起こったか分からなかったが、気付いたときには相手に蹴りを入れようともがいていた。

ガイドブックには襲われたら、絶対に抵抗してはいけないと書いてあったはずだが、人間の本性は思わぬところに顔を出す。自分がこんなにも攻撃的な人間だとは思わなかった。

抵抗むなしく短パンのポケットに思いっきり手を突っ込まれ、ポケットが引き裂かれ財布代わりにしていた名刺入れがその勢いで地面に叩き落とされた。本当に黒人のパワーというものは怖ろしい。それでも諦めの悪い長身の日本人は、名刺入れを持った黒人二人組みに向かって脱げた靴を放り投げ、捨て身の抵抗をしたのだが・・・・・・・そんなものはかすりもせずに、靴はむなしく通りに転がった。

靴を履いたときには相手は通りの角まで到達していた。それでも一瞬そのまま追いかけたが立ち止まり、落ち着いて周りの人たちを見渡してみた。彼らは完全に成り行きを静観し、こちらを助けてくれる様子もない。かといって、奴らの仲間には見えなかったが深追いすると危険だと判断し、来た道を引き返して大通りまで戻った。

引き裂かれた短パンで歩くのもみっともないので、近くの洋服屋に入り短パンを購入した。そこで冷静になったよく考えて見ると、自分が非常に幸運だったことに気が付いた。

まずあの若い男が忠告したおかげで、一眼レフは無事だった。このときばかりは、人のことをよく聞く素直でいい子にすくすくと育ったことを心から感謝した。あのとき「ヘイ、アミーゴ!おれはロシアやカンボジア、それにインドを旅した筋金入りのバックパッカーだ。あんたの忠告はありがたく聞いておくが、心配には及ばないぜ!」などと間抜けなことを考えてカメラを仕舞わなかったらどうなっていたことだろう。間違いなくやつらの標的はカメラになり、今頃僕の愛機であるニコンは彼らの手に渡っていただろう。

またリコーのGR10というコンパクトカメラを引き裂かれた反対側のポケットに入れていたのだが、これも無事だった。すでに使用して10年近くなるので、外見がかなりボロかったのが幸いしたのだろう。彼らはこのカメラには興味を全く示さなかった。モロッコの写真はほとんどこのカメラで撮ったくらい気に入っているカメラだ。本当に盗られなくて良かった。

盗られた名刺入れにいくら入っていたのか計算してみた。今日ホステルから出たときは100レアル(約6500円)以上は入っていなかったはずで、CDが35レアル、ランチが12レアルぐらいだったので、どんなに多くても3500円ほどの現金しか入っていなかったことになる。

万が一、リュックを盗られたら4万円の現金はおろかクレジットカードやキャッシュカードも入っていたので、壊滅的なダメージを負うところだったが、これも全く無事だった。きっと好戦的な日本人に恐れをなして、彼らは名刺入れだけで満足したのだろう。被害は最小限に抑えられたが、襲われたという事実がとにかく悔しい。油断していたわけではないが、握手したのは愚の骨頂だった。

このままホステルに引き返すのも癪だったので、街を歩き回り写真をひたすら撮った。ブラジルでカメラを持っていたら、襲われる危険は増すのは理解しているが、かといって写真を撮らないとなんのためにブラジルに来たのか分からない。

Brazil

夕方まで写真を撮り、ホステルに帰った。
ホステルのテラスには数人がのんびり夕日を浴びながら寛いでおり、軽く会釈をして会話に加わった。夕日を浴びながら強盗に襲われた話をするのも申し訳ないので、そのことは黙っておくことにした。ギターを弾いていた今日着いたばかりだというカナダ人のタチアナという女性と話が弾み、一緒に食事に行くことになった。そのほかのみんなはまだ時間が早いので、あとで食事を取るとのことだった。

彼女はとにかく「サルバドール最高!この街に来て本当に良かった」と浮かれており、サルバドールに来るまではリオに二週間滞在したが、サルバドールで過ごした今日一日はリオで過ごした二週間以上にエキサイティングだと興奮してまくし立てた。サルバドールに到着してまだ数時間しか過ごしていないはずだが、彼女は完全にサルバドールの虜になってしまったようだ。

Brazil, サルバドール

初めて見るカラフルな街並みと、どこからともなく聞こえてくる音楽にすっかり魅了されたハイテンションなタチアナのおかげで、なんだかこっちも楽しくなってきた。生まれて初めて強盗にあったが、そんなことすらどうでもいいことのように思えてきたくらいだ。人間目の前に起こっていることに集中すると、過去なんてどうでもよくなるものらしい。

タチアナは、父親がノルウェー人の大学教授で小さい頃からマイアミ、ストックホルム、オスロ、バンクーバー、ポートランドと引越しを繰り返した国際的なバックグランドを持っていた。彼女は海外に来るとよく人から「ホームシックにならない?」と尋ねられるが、どの国を対象にホームシックになればいいか分からないという。グローバリゼーションというものが進むと、彼女のような感覚が当たり前になるのかもしれない。国籍や人種が意味を為さない世界も悪くない。日本にいると、ついつい日本人という狭い枠組みのなかで物事を考えがちだ。タチアナのような人は最初からそういう何人だからという感覚がないので、もっと広い視野で物事を考えることができるのだろう。

違う国には違う価値観が存在する、世界の常識では当たり前のことが日本ではなかなか理解されない。今後、彼女のような鋭い国際感覚を持った人々を相手に、日本という国はどのようなビジネスを展開し、文化的刺激を世界に与えることができるのだろうか。いつまでも海外の人々を「ガイジン」と疎外し、違う価値観を持つ人間を「ヘンジン」と片付けていないで、日本の社会に組み込まないといつか手痛いしっぺ返しがくる。日本の常識ほど世界で非常識なものはない。それにタチアナみたいな人を見ていると、なにが常識でなにが非常識かという判断基準すらあいまいなものに思えてくる。結局のところ、彼女のように自分の好きなように生き、人生を楽しんでいる人が正しいのかもしれない。

彼女の職業は、主にドキュメンタリーを撮っているフィルムメーカーだ。今手がけているプロジェクトは蜂についてのドキュメンタリーで、現在世界中で蜂が行方不明になっており、その謎に迫るというものらしい。その問題の根幹には環境問題などが複雑に絡んでいるとのことだった。またそのプロジェクトのために今スポンサーを探しており、決まり次第1年くらいかけて撮影すると言った。それまでは自由の身なので、三月ぐらいまではブラジルに滞在するという、なんとも羨ましい話だ。サルバドールにはアパートを借りて、カーニバルを見たいと思っているが、一緒に借りてくれる相手を探しているらしい。僕も誘われたが、残念ながら2月まで滞在することはできないと告げた。

サルバドール名物のムケカを食べようということなり、良さそうなレストランを見つけて入った。料理が出てくるまでに今まで彼女が行ったことのあるブラジルの街について色々と聞いた。じつはタチアナにとってブラジル旅行は今回が二回目で、一回目は取材目的でアマゾンに二ヶ月ほど滞在したとのことだった。アマゾン奥地にはアヤワスカと呼ばれる秘薬を配合するシャーマンが存在しており、その秘密の配合について取材したとのことだった。(なんとも怪しげな話だが、ネットで調べて見るとあの船井幸雄さんも紹介しているので結構ポピュラーなものらしい)

いずれはアマゾンに行くつもりだったので、アマゾンへの入り口としてはどの街から入るのがいいか聞いた。(覚えられそうにない名前だったので、タチアナに発音してもらい、それをビデオで撮影した)

タチアナの話に興味は尽きないが、食事も終わったのでレストランを出ることにした。今日ホステルを出るときに、8時から教会前でコンサートがあることを聞いていたので、行ってみることにした。その道すがらにもいくつかのレストランではライブコンサートをやっていた。そして、その近くではドラムを鳴り響かせる楽団が太鼓を片手に踊るので、タチアナは興奮しっぱなしだった。

教会の前あたりまで行くと、人ごみでごった返しており、中へ入れるのかどうか不安になるくらいの人口密度の高さだった。それでもなんとか自分の体を押し込みながら、人ごみをかき分けて入り口付近に場所を確保した。今日は火曜日で、サルバドールでは火曜日は特別な日なのだ。なぜ火曜日が特別だか知らないが、僕の推測では単純に週末まで待てないので適当な口実をつけて、盛大なパーティーができるように火曜日を特別な日と設定したのではないだろうか。そんな穿った見方をしてしまうほど、サルバドールの人々はパーティー好きだ。

Brazil, サルバドール

ライブは大いに盛り上がり、今日あった嫌な出来事も消し飛んでしまった。音楽の力というものは素晴らしい。それに人々の熱気がすごい。この街には強盗に襲われたことすら圧倒してしまう熱狂があり、それが人々を虜にしてしまうのだろう。

こういう夜がいつまでも続けばいいのにと思った。
毎日がパーティーなんて最高だ。隣で踊っているタチアナはポルトガル語が話せるので地元の女の子と仲良くなり連絡先を交換し、すごく嬉しいそうだ。周りを見渡しても、みんなひどくハッピーな感じで踊っている。そういう人たちに囲まれると、こっちまで気分が高揚してくる。

二時間ほど踊り続け、くたくたになってしまったのでタチアナにそろそろ切り上げようと言った。パーティーはまだまだ続きそうだったが、朝から歩き回っていた僕の体力は限界だった。彼女はまだ踊りたそうだが水分補給のためにひとまず休憩することに同意してくれた。

レストランに腰を落ち着けると、お互いの旅の予定を話し合った。僕はすでに行きそびれたレンソンスまでのバスのチケットを手配しており、明日朝7時発のバスでレンソンスに行くと告げた。彼女はレンソンス近くの自然公園でトレッキングをするつもりなので、一緒に行きたいが、今日着いたばかりなのでもうしばらくサルバドールに滞在しないかと誘ってきた。それから一緒にレンソンスに行こうと言われたが、すでにチケットを予約しているし、どうせサルバドールには戻るつもりだったので、またサルバドールで会おうと言った。

また縁があったら再会するだろう。今日は散々な一日になるかと思ったが、とても思い出深い日になった。街が人を作るのか、人が街を作るのか?ただサルバドールという街について言えることは、この熱狂が人々を虜にし、また暴力的にしているということだ。サルバドールには中途半端は存在しえない。アクシデントが起こる際の針は極端に振れ、それがどちらかに振れるかは運による。

とにかく運が良かった。
今日について言えることは、それだけだ。

思いがけない一日

翌朝、起きると早速荷造りに取り掛かり、ホテルを出ることにした。ロケーションは最高だが、さすがに毎晩のように大音響で音楽が鳴り響くホテルにはいられない。ホテルを変えるついでに、違う街へ行こうと思った。

Brazil

二、三日違う街に滞在して、またサルバドールに戻ってくるつもりだった。ガイドブックを読むと、Lencois(レンソンスと読むらしいが、定かではない)という街は、街並みも美しく付近には国立自然公園もあり、風光明媚なところらしい。サルバドールからはバスで7時間とある。フロントに行ってバスの時間を聞くと、朝の7時と夜の11時発の一日二本のバスしかないとのことだった。時計を見るとすでに10時過ぎだったので、夜の11時発のバスまで待つしかないが、それまで待つ気になれない。ほかにお勧めの場所を聞くと、応対してくれたフロントの人が自分の街の話を始めた。なんでも彼はバレンサという港町出身で、そこには日本人がたくさんいて、日本人の友人から日本語を習っているとのことだった。

バランサに行くにはフェリーで30分、バスで2時間半とのことだった。たいした距離ではないので、とりあえずそこに行ってみることにした。バレンサからさらに南に行ったところに、美しいビーチで有名なモンテ・サンパウロがあり、またポンビアという観光地化されていない街もあるとのことだった。

11時過ぎにチェックアウトし、バスに乗って港へ向かった。残念ながらフェリーは出発したばかりで一時間ほど待たなくてはいけなかった。フェリーに乗る長蛇の列に並び、ようやくの思いで対岸の港に着き、バスに乗った。

バレンサに着いたのは3時半過ぎだった。しかし、思ったほど魅力的な街でなく、到底泊まる気になれなかった。南下して、モンテ・サンパウロかポンビアに行くことも考えたが、時間がかかり過ぎるので断念する。一度、サルバドールまで戻り出直したほうが良さそうだ。

バレンサのバス停まで戻ったら、サルバドール行きのバスが来ていたので、それに乗り込んだ。

Brazil

サルバドールに着いたのは、夜の8時過ぎだった。バス停からタクシーに乗り、以前歩いて気に入ったカルモという地区まで行った。ホテルのめどは立っていなかったが、この地区は非常に静かで、ペロウリーニョの喧騒もここまでは届かない。ぶらぶら歩いていると、雰囲気のいい宿を見つけて、チェックインした。そこはホテルではなくホステルで、6人部屋のドミトリーしか空いていなかったが、これも何かと縁と思い、ドミトリーに泊まることにした。ひとり旅は好きだが、ドミトリーに泊まることは今までほとんどなかった。以前は部屋を知らない誰かと共有するのは嫌だったが、今ではそれほど抵抗感はない。これもいい経験になるだろうと思った。

Brazil

この日は移動だけに費やした日だったが、思えばサルバドールに戻ってきてこのホステルに泊まったことが、今回の旅の大きなターニングポイントになった。ここでたくさんの人と知り合いになれたし、そのなかの何人かとは今でもコンタクトを取っている。無駄に思えた一日だが、あとになって振り返ると大切な一日となった。

人生なにが幸いするか分からないものだ。

パーティーナイト!

今日は日曜日ということもあり、街は静かだ。ほとんどの店は、店を閉めている。夜になれば、街には喧騒が広がるだろうが、日が出ているうちは息を潜めて、じっと暴れる機会を伺っているようだ。昨日のうちに旧市街のペロウリーニョは歩き尽くした感があるので、今日は足を延ばして近くの海まで行ってみることにした。

カルモいう閑静な地区を抜けると、突き出した高台から海が見える。そこから見える海をまず目指してみようと思った。かなりきつい坂を下りて、海岸沿いの通りに出る。ビーチなどはなく、工業地帯のように見える。これといって色気のない風景が広がっている。しばらく歩いてみたが、人通りもない。海岸通り自体もペロウリーニョのように魅力的な色彩はしておらず、どこからどうもても平凡な通りだ。下ってきた坂道を登るのも気が引けたので、行き先も分からないバスにとりあえず飛び乗った。

ブラジルではバス停というものは存在するが、降りるときは運転手に声をかけて、降りたいところで降りるのが基本スタイルだ。そんなわけでなんとなく声をかけるのが億劫で、窓の景色を眺めながらバスの終点まで行ってしまった。

Brazil

バスから降りると、そこには団地のようなビルが何棟も連なっており、サルバドールの代名詞であるカラフルな壁は見当たらない。ただの住宅地を地球の裏側から飛行機を乗り継いで見に来たわけではないが、成り行き上そうなってしまった。これといって特に見るべきものはないので、観光客なんて一人もいない。ポルトガル語ができれば、地元の人たちと仲良くなるチャンスもあるのだが、笑顔振りまくことぐらいでしたか親睦をはかる方法はなかった。

カフェに入り、一休みしながら隣のテーブルの人たちにペロウリーニョまでの戻り方を聞いた。あいにく直接行くバスはなく、バーラというビーチで乗り換えをしないといけないらしい。バーラに行くバスは一時間に一本しかないとのことだ。

一時間に一本しかないバスを逃すと面倒なので、バス停まで歩いて行くと若い男が英語で声をかけてきた。
「あんた、こんなところでなにやってんの?」
こっちが聞きたいぐらいだったが、「ただ散歩している」と答えると、首を振りながら「理解できない」と言われてしまった。

Brazil

バス停でもバスは一時間に一本しかないと言われたが、そのバスはあと10分後には発車するから待っておけとのことだった。ついているのかついていないのか、よく分からない状況だったが、待つしか選択肢が残されていなかったので、そのままバス停に留まった。

意外にもバスは予告どおり、10分後ぐらいには発車し、その閑静な住宅地を抜け出すことに成功した。ここのところ歩き疲れていたので、バスに乗ることはいい休憩にはなる。がらがらだったバスは途中いくつかの停車を経ると、ぎゅうぎゅう詰めの日本の満員電車のようになってしまい、人々の熱気で息苦しくなった。

やっとの思いで、バーラに着き、そこで降りて散歩してみる。ビーチがあるといっても、イパネマやコッパカバナのように広大なビーチが広がっているわけではなく、猫の額のようなビーチが申し訳なさそうにしている。それでも観光客ですし詰めになっており、ビーチという甘美な響きに誘われた人々が、我先にと浜辺に陣取りして寝そべっている。

Brazil

ある意味、日本的な風景だったがブラジルまで来てそんなものを見る必要を感じず、足早にビーチを後にしてレストランに入り昼食を取った。

ゆっくり休憩をしてから、ペロウリーニョ行きのバスに乗った。ホテルに着いた頃には、すでに夕方近くになっていた。ホテルの前の広場では今夜もイベントが開催されるらしく、バンドが演奏を始め相変わらずの爆音を周囲に轟かせている。今夜もベッドに入るのは夜中の1時を過ぎてからになるだろう。

夜の帳が降りる頃には、バーやレストランから音楽が鳴り響き、今夜も騒々しい夜が始まりを告げた。

ドラムの音を響かせながら楽団が行進し、バンドは競い合うように音楽をかき鳴らしている。昨晩も見た光景だが、何度見ても飽きないものだ。音楽とそれにまつわる熱狂を取ったら、きっとこの街には何も残らないだろう。

街で演奏しているバンドを見て回り、一番良さそうなプレイしていたバンドのところに腰を落ち着けた。人々も大盛り上がりで、老若男女問わず踊っている。その光景は僕に祖母が80歳を過ぎてからオーストラリアを旅したときに「お年寄りが夜中でも遊んでいるの!」と興奮して言ったことを思い出させた。

オートラリアでもカナダでもヨーロッパでも、お年寄りは夜中でも楽しそうに歌い、踊っている光景を見ることができる。ここブラジルでも似たようなものだ。日本が極端に老人を社会から排しているだけだ。このまま金持ちと貧乏人の二極化が進んだら、ますますその傾向は強くなるだろう。一部の年寄りだけ幸せを謳歌し、大多数の老人は虐げられることになる。お金がいつのまにか社会の第一義になってしまい、その他のことはどうでもよくなっている。自分が知っているこの10年見てもその傾向は強くなっている。享楽的かもしれないが、ブラジルの人々はとにかく人生を楽しもうとしている。それがいいか悪いかは分からないが、いたって健康的ではあることだけは確かだ。

Brazil

たまたま隣に座っていた退屈そうなにしていた兄妹と仲良くなり、写真の撮り合いになった。彼が撮った写真はどれもピンボケだったが、なかなか味のある写真が多かった。彼らの母親は目の前で楽しそうに踊っている。リオで会ったサンドラもそうだったが、ブラジルでは子供を置いてきぼりにして、大人たちが楽しむらしい。子供のことを優先にして自分たちを犠牲にしようなんて考えは、彼らにはまったくないのだろう。

そんな感じで彼らとじゃれあっていると「こっちに来て一緒に踊らない?」という視線を女の子が投げかけてきた。その女の子がいる集団は一見したところ、ごくふつうの女の子たちに見えたので、その誘いに乗って彼らと一緒に踊った。

ブラジルではキスは挨拶代わりにするので、アルコールも進みいい感じになると、抱きつかれて「ブチュー」とされた。そのときに「マイス!」と言われたので、ナイスと勘違いして今年のベスト・キッサー賞は自分に違いないとうぬぼれたが、あとで聞いたところによると、それは「もっと!」というポルトガル語だった。

もう正直、これ以上は限界だったので、踊り疲れてふらふらになりながら、帰路についた。そのときに電話番号も渡されたが、ポルトガル語ができない自分に一体どうしろというのだろうか?(これもあとで聞いた話だが、ブラジルの女性は電話をするのがとにかく好きらしい。クラブで知り合った女性から朝の7時に電話がかかってきて「オーイ!なにしているの?」と言われることがままあるとのことだ)

ブラジルの文化を肌で体験して、ペロウリーニョ広場を突き抜け、ホテルまで歩いて帰った。ホテルの前のパレス・ダ・セという広場すでに静まり返っている。いつのまにか深夜1時を過ぎていた。ブラジルの夜は本当にあっという間に過ぎ去ってしまう。今日はいい夢を見れそうだと思いベットに入った。

いとしのサルバドール

朝の四時半に起きて、タクシーに乗り込みリオ国際空港へ向かった。
相変わらず安物の目覚まし時計はデタラメな時間を示すので油断ならないが、早起きは得意なのでこんな時間でもばっちり目は覚める。

タクシーは昨夜のうちに手配しておいたのだが、このおじさんは非常に人がいい。このおじさんに限らず、ブラジルのタクシー運転手は良心的な人が多い。インドのようにタクシーでもなんでも値段交渉が必要だと、それだけでくたびれてしまう。そもそもインドは国民全体が詐欺師の傾向があるので、まったく油断ならない。BRICsなどともてはやされている両国だが、インフラや国民性などを考慮に入れると、ブラジルのほうがはるかに将来性があるように思える。
(ただブラジルの男たちは、総じて強盗になる可能性が高いので、それはそれで油断はならない。インドは牛を神聖な生き物とみなして一切口にしないが、ブラジルでは毎日ように牛肉を食べる。片方は詐欺師の傾向が強く、もう片方は強盗の傾向が強い。バランスのいい食事を取ることがいかに重要かということだろう)

Brazil, Salvodor

サルバドールの空港には昼前に着き、バスに乗って市内へと向かった。リオやサンパウロとは明らかに違う雰囲気だ。南米にいるというよりは、アフリカに来たのかと錯覚するほど色使いや歩いている人々は、アフリカの要素が強い。そして、もちろん圧倒的に肌が黒く、原色の服との相乗効果でビビットな印象を人に与える。

市内に着くと、リオのときのように1時間も歩いてホテルを探しても徒労に終わるのを避けるため、予めガイドブックで目星をつけていたホテルにチェックインした。そのホテルはパレス・ダ・セと呼ばれる広場に面しており、便利なロケーションだ。ここなら道に迷わないし、人通りも多いので夜出歩いても大丈夫だろうと思った。

ペロウリーニョと呼ばれる旧市街を歩くと、街並みがフォトジェニックですごく気に入った。原色の壁に青い空、それに褐色の肌の人々というのは、相性がいい。しかし、今までの街と違い、明らかに危険な香りがする。危険というよりは、暴力の香りといったほうがより正確かもしれない。モロッコやインドではそういう感じを受けたことは一度もなかったが、ブラジルではそれをひしひしと感じる。

Brazil, Salvodor

サルバドールの日差しはリオよりも強烈で、一時間も歩くとくたくたになってしまう。それに坂道が多く、歩きづらい道も多い。だが、街の規模が小さいので2時間ほど歩いたら旧市街のペロウリーニョは、ほとんど歩き尽くしてしまった。留学していたスコットランドの首都エディンバラもそうだったが、これくらいのサイズの街が一番自分に心地いい。エディンバラも同じように世界遺産に登録されているが、その街並みはサルバドールのそれとは対極だ。エディンバラがお高く留まった深窓令嬢の美しさだとすると、サルバドールのそれはラテンの血だけが持つ熱狂的な女性の美しさに相当する。

どちらも魅力的だが、通り過ぎる街としてはサルバドールのほうがより適している。こんな街に何年もいると、きっと頭がおかしくなってしまうだろう。ラテンの血を持つ人間以外、住むには激しすぎる街だ。

Brazil, Salvodor

カーニバルの一ヶ月前になると、そのリハーサルのために楽団が野外で演奏しているので、昼夜を問わずどこからかドラムの音が聞こえる。その音色とカラフルな街並み、それに強烈な日差しが一体となって、人々を襲う。街全体があたかもクラブのように熱狂的だ。

夕方になると、日差しも弱まりようやく一息つける。その頃には早朝から行動していたこともあり、くたくたに疲れ果ててしまった。ホテルに戻り一休みしようとするが、ホテルの目の前では、とてつもない音量でバンドが演奏している。土曜の夜ということもあり、パレス・ダ・セには仮設テントが設置され、イベントが催されるらしい。ホテルのフロントに聞くと、夜中の1時までこの爆音が続くという。

Brazil, Salvodor

いまさらホテルを変えるのも面倒なので、枕で頭を抑えつけながらベッドに横になる。長年培ってきた寝つきの良さが功を奏し、2時間ほど仮眠を取ることに成功した。ベッドから体を起こすと、すでにあたりは真っ暗になっているが、音楽のボリュームは格段に増しており、ホテルの部屋にこれ以上留まることは不可能に近い。

街に出て、眠気覚ましにホテルの一階にあるカフェでビールを飲む。こんな音量でも耳は慣れてくるから不思議だ。少しおなかが空いたので、ペロウリーニョ広場あたりのレストランで食事を取ろうとカフェを出る。

いたるところでバンドが演奏しており、人々もダンスに興じ、街はお祭り騒ぎだ。これがカーニバルまでずっと続くらしい。

ライブ音楽が聞けるレストランに入り、料理とビールを注文した。もう何度「スコール」と言っただろうか。宮下さんにはビールを注文するときは、「セルヴェージャ」と言えばいいと教わったが、それだと「ビールの銘柄はなにがいいか?」と聞き返されるので最初から「スコール」と注文することにしたのだった。ポルトガル語を少しでも習っておけばと思ったが、後の祭りだ。まさか「ワン・ビア」ですら通じないなんて想像していなかった。

そんなお粗末なポルトガル語しか話せない人間でも、構わず話しかけてくる人種はいる。世界最古の職業についている女性たちだ。一人で飲んでいると、しきりにこちらに目をやり笑いかけてくる。一人でひまだったこともあり、色々と会話を試みるが、まったく通じ合わない。言葉が話せないということは、まったく不便なものだ。

次第に疲れてきて、「ごめんなさい」と心につぶやきながら、席を立った。その女性にはお金にならない時間を費やさせてしまったので、いくばくかの罪悪感を感じたが、こればっかりは仕方がない。

時計の針はそろそろ1時を指し示していたので、広場の音楽も鳴り止んでいることだろう。このときばかりは性欲よりも断然睡眠欲が優先していた。人間の欲のなかで最も優先順位が高いのは睡眠欲に違いない、と断定的な気持ちを抱きながら帰路についた。

Related Posts with Thumbnails
Page 11 of 27« First...5910111213152025...Last »