人生を変えるための覚え書き:リスボンにて

忘れないために書いておこうと思う、人生を変える方法について。

1.戦略

2.選択

3。武器

以上、3つのことが人生を変えるためには最も重要だ。

人はよく目標を立てよと言うが、それは簡単なことだ。だが、意外と見落としがちなのは、それに対してどのように取り組むのかという戦略だ。繰り返し言うが、戦術ではなく戦略だ。その違いを明確に意識しないと、目標は達成出来ない。

例えば、「英語を身に付けよう」と思い立つ。そうして、たいていの人は当てずっぽうに参考書、英会話学校、それに適当に一日一時間などと決めて勉強を始める。これはただの戦術であり、戦略ではない。

戦略とは、例えば英語を身に付けるためには何時間必要か考え、それに対して自分が一日何時間割けるか決め、そうしてどのように勉強していくか具体的に決めていく作業を言う。仮に英語を身に付けるのに1000時間必要とするのであれば、自分がそれに割ける時間は一日二時間と決め、それを忠実に実行するために一日のスケジュールを決め、動機付けなども絡めて、着実にそれを推進していくことを戦略と呼ぶ。

もし、そのような自制心を持ちあわせていないのであれば、自分のように「とりあえず留学して、英語しか通じない環境に自分を追い詰めて、英語を徹底的に学ぶ」という選択肢もある。これもひとつの戦略である。だが、戦略は徹底する必要がある。留学するのは簡単だが、周りに流され、英語をろくに身に付けないまま帰国するパターンが多いのは、この「戦略を徹底する」という意思が欠けているからだ。

自分の場合は、「英語しか話さない」と決めていたので、たまに日本人と会ってもすべて英語で通した。彼らには「変人」扱いされたが別に意に介さなかった。重要なのは「英語を身に付ける」ことであり、「日本人と仲良くなる」ことではなかったので、自分にとっては当たり前のことだったからだ。

次に選択だ。

ある意味、これがすべての鍵を握っている。人生を変えたいのであれば、「選択」することに着目し、意識的にそれで変えていくことが一番の近道だ。知らず知らずのうちに我々は日々、選択している。それは旅をするとよく分かる。どこに行くにも、なにをするのも自由だ。誰からも強制されない。ただ、ふと入ったレストラン、それにバーで思いもかけない出会いが生まれたり、たまたま乗った電車やバスで「面白そうなもの」を見かけた時に躊躇せずにそこから降りて、それを追ったりすると素晴らしい発見がある場合もある。

旅のような劇的なシチュエーションにも関わらず、我々は日々選択していることを意識すれば、おのずと人生は変わっていく。日々の選択に責任を持つことを意識すれば、安易に事を決めずに熟慮し、それこそ戦略的に自分の人生を変えていくことも可能だろう。

最後に武器について語ろう。
武器の対極にあるものを知っているだろうか?

それは資格だ。
多くの人は、それを獲得するために多大の時間をかける。分かりやすい例を言えば、先に例を出した英語について言える。

それは英語を身に付けるために「TOEICで800点以上取る」「英検1級を取得する」などの思考回路だ。それは武器ではなく、資格であり、世界では通用しない。

武器とは「世界のどこに言っても通用する自分だけの戦闘兵器」のことを指す。ほかの国の人に「自分は東大出身です」「TOEIC満点取りました」と言っても通用しない。それはただの資格であり、武器ではないからだ。武器とは「東大で何を成し遂げ、どのような成果を挙げたか具体的に示すこと」を指し、「英語で外国人相手に何不自由なくコミュニケーションを取れる」ことを武器と言うのだ。

武器がないと世界では戦えない。そのことを肝に命じて、世界に打って出る必要がある。「これからはグローバル!」など煽られて、世界に丸腰で打って出ても、取って食われるだけだ。それを避けるためには、まずは戦略を立て、日々意識的に選択し、そして多くの武器を身に付けてから世界に打って出る必要がある。

今の人生に満足し、これからも何も成し遂げることもなく平穏に暮らしていきたければ、別にこれらのことはさして重要でない。だが、世界に変革をもたらし、これからより良い人生を生きたいのであれば、「戦略、選択、武器」という三つのことを頭に入れて、行動したほうが人生という戦いに勝てる勝算が高い。

世界を変えるために世界に打ち勝つ必要はない。ただ、自分に打ち勝つ必要があるだけだ。そのことだけは肝に銘じて覚えておえて欲しいと思う。

朝日は明日の始まりではなく、今日の続きでしかない:ブエノスアイレスにて

この街、ブエノスアイレスに来てから、もうすぐで2年になるが、新しい人と会うたびに「どうしてこの国、この街に来たのか?」と訊かれる。おそらくこれは、これからもずっと訊かれ続けることだろう。人はなにか明確な理由があって違う国に移り住むものだという先入観があるので、彼らからしてみれば、特になんの理由もなしに住んでいるのが信じられない気持ちも分かる。

自分でもよく説明が出来ない。でも、納得している。この街に住みたいと思っているから住んでいる事実には変わりないし、厄介なことや嫌なことも多々あるが、とても楽しい日々を送っている。僕が日本よりも海外を好む理由のひとつとして、「海外には隙がある」というものがある。国全体、社会全体、それに人間関係、友人関係、あらゆるものに隙がある。どれも決まっているようで、きちんと決まっていないから、自分の努力次第で色々とどうにかなってしまう。

そもそもブエノスアイレスに来た時ですら、住むためのビザなんてことは一ミクロンも考えていなかった。イギリスに住んでいた経験があったので、「どうにかなる」という確たる自信があったからだ。

人は生まれた国に住み続けるのが当然だと思っているが、きっとこれは今後どんどん変わっていくだろう。すでにヨーロッパの人々のあいだでは当然のように外国に住むのが当たり前になっているし、別段それが特別なことでもない。グローバル時代なんて大げさな話しではなく、こんなにも簡単に情報が手に入り、格安航空券で世界を行き来でき、またインターネットで自国の友人や家族と繋がっていられるのだ。

むしろ、人々が自分の選択肢を広げないことのほうが不自然だ。

今でも時々、思い出す。
ずっと、ずっと心の奥底で、「ここよりもずっとマシな場所がある」と退屈で仕方がなかった学校に通っている頃、そのようにいつも思っていた。

そして、それはとても正しいことだった。世界はとても広く、探せば自分が居心地よく感じる場所が見つかる。目の前のことが嫌になったり、逃げ出したりすることはよくないことだと僕らは子供の頃から教わるが、じゃあそんなに辛い思いをしてそこに生きて、何が手に入るのだろう。

正直、邪な考えだと思うが、日本に生きられなくても、海外では生きられる場合が多々ある。日本のスタンダードは恐ろしく高いので、それが嫌なら、とっとと海外に逃げ出したほうがいい。その代わり、日本に居た時よりも、「戦う」必要が生じるけど。

人生は結局のところ、選択の問題だ。
誰にも、自分にも言い訳せずに、やることをやる。その結果を全面的に自分で受け入れれば、人生を選択できる権利が手に入る。明日は今日の問題を解決してくれない。たいていの場合は、明日はまた新しい問題を運んでくる。今日は今日の問題を解決し、今日のうちに明日の問題を夢想しながら、その対策をぼんやりと考えていればいい。

人生は今日しか存在していない。自覚的に人生を選択するようになると、そのことをより痛感するようになる。


朝日は明日の始まりではなく、今日の続きでしかないのだから。

ある週末の出来事について:ブエノスアイレスにて

気だるい日曜日の午後。
ふと、思う。
ここは外国だったのだなと。

ブエノスアイレスに住んですでに2年近くになろうとしているので、周りが外国人という状態にすっかり慣れ親しんでしまった。

「毎日とても充実している!」というわけでもないけど、日々やることはあるし、多くの人と同じように問題をたくさん抱えている。それでも、時々ほんのふとした瞬間、「楽しいな」と思うことがある。べつにそれは、ブエノスアイレスに住んでいるからというわけではなく、とてもコスモポリタンな状況のなか、自分の頭で考え、行動し、決定を下さないとまともに生きていけないからだろう。

そんなものを得るために、地球の裏側であるブエノスアイレスに来る必要もないが、この地でも人々は文句を言いつつも、楽しく暮らしている。そんな人たちに紛れながら、生活を送ることは楽しい。

例えば、金曜日の朝。
ケーブル会社の男二人が、住んでいるマンション全体にケーブルテレビを引くために、やってきた。そして、彼らが帰った後、それまで問題なく繋がっていたインターネットが繋がらなくなった。ついでにいうとケーブルテレビももちろん映らない。

そんなことがなんだかとてもおかしく感じてしまう。そして、仕方なく街の中心街に行って、彼らのオフィスに行き、エンジニアを寄越してもらうように手配をした。何事も自分で動かないと、海外では何も変わらない。人や状況を罵る暇があれば、とっとと行動をお越し、最善と思える方法で問題解決をはかる。 それの繰り返しだ。

自分の国に住んでいると、常識やら行動規範やら、なんだかよく分からない社会的なルールに縛られ、時々とても不自由を強いられる。もちろん、それと引き換えにそれほど自分で考えることはせずに、ののほんと生きていくことが可能だ。高度に発達した社会のあるべき姿といえるだろう。

でも海外では違う。まずは人ありきだ。ルールなんてものはそこに存在しない。いかに信頼出来る人を見つけ、彼らのサービスを享受出来るように手配し、また同胞のよしみなどで友人を選ばず、厳しい目で査定して、信頼できる人たちを周りに配置する。弱肉強食の世界とは言わないが、自分で自分の楽園を作る意欲がないと、この地でやっていけない。

土曜日の深夜4時。
ここブエノスアイレスの夜の始まりは遅い。たいてい深夜過ぎから人が集まり始まる。たまたま知り合ったイギリス人女性が本国に帰国するというので、彼女の送別会に参加した。さすがに深夜4時となると人もまばらになり、自分もそろそろ帰ろうかと思ったが、知り合いのアメリカ人が来たので、踏みとどまった。

彼はネット関係の会社を経営しており、べつにアルゼンチンに住む理由もないのだが、この地を愛し、ここの人々を愛し、彼らを雇って仕事をしている。会社は3年前には潰れかかったが、今では完全に立て直し、社員10人を雇うまで拡張して、プール付きの広大なオフィスをブエノスアイレスに構えるまで成長したとのことだ。

常日頃から外国人からはこの国の悪口しか聞かないけど、彼はとにかくアルゼンチンを愛し、ブエノスアイレスという街をこよなく愛している。それはとても素晴らしいことだと思う。特に5年も6年も住んだ後に、それでもひとつの街を愛し続けるのはとても労力がいることだ。

この街に住んでいるからこそ、彼がこの街でとてつもない苦労を味わいながらも、それでもたまたま知り合ったこの地に住んでいる外国人にこの街を絶賛できるすごさは理解できる。自分のような根無し草のような生活ではなく、この街にどっぷりとつかって生きる彼の生き方は、とてもまぶしく映った。

再び、日曜日の小雨がぱさつく午後。
この国では日曜日に自殺する割合がほかの曜日に加えて圧倒的に高いらしい。アルゼンチン人いわく、「日曜日はとても淋しいから」とのことだ。土曜日の喧騒をよそに、街は日曜日に死んでしまう。たいていの店はしまり、人通りもまばらだ。

政府が観光業を活性化するためなのか知らないが、この国にはやたらと祝日が多い。先週は週末を挟むと4連休だったのに、来週の水曜日も祝日だ。祝日のたびに街は死に、人混みは消え去り、街の命は消え去る。これが本当に観光のためになっているのか、少し心もとない。

彼らは仕事よりも人生をこよなく愛し、物事がうまくいかなかったら、他人か政府のせいだと思い、経済危機や財政危機とは友だちで、豊富な天然資源を有効活用できず、相変わらず発展途上国のままだ。それでも、僕たちはあまりうまく理由を説明できないままこの地に留まり、生活している。

いつかアメリカ人のように、知らない外国人に会っても、ブエノスアイレスのこと、アルゼンチン人のこと、それらすべてを愛して、「素晴らしい」を連発しながら、ハイテンション気味にあらゆることを絶賛できるようになる日が来るのだろうか。

ただよく説明出来ないけど、そうなれば、いいなと思う。
心の底から、本当にそうなれば、「素敵なことだな」と思っている。

レスリー・キーについて思うこと。

何を隠そう、自分は初代レスリー・キーのアシスタントになりそこねた男である。
あれは、ロンドンから帰ってきてから数ヶ月後のことだったと思う。ひょんなことから知り合った女性に写真事務所を紹介され、そのつてで彼のアシスタントとして何回か撮影に参加することになった。

数回会っただけの自分に当時、香港四天王の一人して有名だったアーロン・クォックの写真集の撮影を手伝いを依頼されたのもいい思い出だ。(結局、この写真集はお蔵入りになったけど、ほかの撮影で行けなかった彼の代わりに自分一人でアーロン・クォックの撮影を3日間ほどしたのはいい経験になった)

記憶は定かではないが、たぶん2000年頃の出来事だったと思う。当時彼はSPURの巻頭特集を手掛けて、それから人気に火がついてまさに飛ぶ鳥を落とす勢いの人気フォッションフォトグラファーだった。あらゆる雑誌の表紙写真を手がけ、撮影は朝から晩まで毎日続いた。まだ当時、専属アシスタントを持っていなかった彼に「専属のアシスタントに」と誘われたが、すでになぜかカメラマンとして成功することに自信満々だった自分はその誘いをあっさりと却下した。(ロンドンから帰ったばかりで、日本のファッション業界に疎かったので、そのような暴挙に出たということもある。でもお互いにとってそれがベストだったのでは今では思う)

もう名前も忘れたけど香港の中山美穂と言われる女優が香港の大金持ちとの結婚式を日本でするというので、その極秘結婚式の撮影も手伝ったこともある。その結婚式には今は亡き、レスリー・チャン、それにレオン・カーフェイ、マギー・チャン など錚々たる香港俳優陣が集まって盛大なパーティーを行った。そのパーティーをコーディネートした中国人が、「香港の芸能界で有名な人、すべて参加しています」と言っていたが、きっと本当にそうだったのだろう。

その香港の大金持ちは飲み過ぎてパーティーで酔いつぶれたけど、帰り際に挨拶すると、「サンキュー、サンキュー」と言ってなぜか泣きながら僕に挨拶をしてくれた。きっと色々とあったのだろう。

それからも一年に何回か偶然に会ったりしながら随分と月日が経った。そして3年ほど前に都内のスタジオでとあるジャニーズの撮影(黒木メイサと結婚した人)に行くと、なぜかレスリーも居て、久しぶりに挨拶した。そして、彼にうまく言いくるめられる形で、モデル撮影にも参加した。

そして、帰り際に渡された前作である彼の写真集を見て、少しショックを受けた。ただの男のエロ写真だったからだ。彼が男好きだったのは前から薄々気づいていたけど、僕が彼と知り合った頃はまだ彼女もいたし、そのような欲望を抱いていても、おおっぴらにはしていなかった。(個人的にはどうでもいいことだと思っている。実際に彼の家で二人きりで何回か泊まったことがあったけど、別に何もなかった。ちなみに六畳一間みたいな狭い部屋だった)

向こうはどう思っているか知らないが、こっちとしてみればお世話になった人だし、幸せになって欲しいと思っている。でも、彼の写真を見て、ものすごく気分が滅入った。ただ自分の抑圧された願望を「プロのモデル」を酷使して、表現しているように見えたからだ。別に撮られるモデル側も納得のうえだったいいが、自分の経験と照らしあわせてみても分かるが、とてもそうだったとは思えない。

彼の写真はいい意味でも悪い意味でも、「ニセモノ」だ。それは別に悪いことではない。ファッションの多くは誰かのコピーで始まるし、ファッション写真の多くもたいていは誰かのコピーだ。そのように業界は回っている。それに知り合った当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼の写真を真似たファッション写真家は何人もいた。

レスリー・キー逮捕

そして、わいせつ罪で逮捕されてしまった。もうすでに不起訴となり釈放されたらしいが、「芸術か、わいせつか」という問い自体馬鹿げている。当たり前に彼が撮る写真すべてわいせつだし、エロ以外の何者でもない。そもそも彼は芸術家でもなんでもない。本人がそのことを強く自覚しているので、それを逆手に上手く立ち回り、そして元々の頭の良さと死に物狂いの努力で得たのが今の成功だ。

問題なのは何も分かりもしないのに、彼のことをチヤホヤする人たちが多すぎるのと、結局のところ彼の存在自体が権威となり、力の弱い立場の男性モデルたちを食い物にしたということだ。

時々、僕は彼のことをとてもかわいそうに思うことがある。アジアを旅して無邪気に写真を撮り始めたのはいいが、それが仕事となり、そしていつしか自分の憧れだった人とも仕事するようになった。それ自体はとても幸福なことである。でも、そんなことを本当に彼が死ぬほど欲していたのかというと、そうではないと思う。彼は人一倍、「認められたい」という欲望が強く、それがいつしか一人歩きをしてしまい、自分で自分を騙すうちにもう本当に自分が何を欲しているのかも分からなくなってしまったのだと思う。

あれほど成功しているのに、あれほど不幸だと思う人間を僕はほかに知らない。

ほかにもたくさん言いたいこともあるし、多少怒りに感じていることもある。この事件が彼を変えるきっかけになればと思うが、十中八九そうはならないこともよく理解できる。成功した人間は後戻りが出来ないというが、それはきっと自分の存在価値とその成功があまりに強く結びついているので、それがなくなったら周りの人間すべてがいなくなると思っているからではないだろうか。

人一倍、寂しがり屋の彼には耐え難いことだろう。

すでに地球の裏側のブエノスアイレスに住んでいる自分にとってみれば、彼が置かれている立場がどこかシュールな感じがしてならない。人生の成功とは、人生を楽しむこと以外にほかの選択肢がないこの地では、彼が不要だと思って切り捨てていったものが本当はとても大事なものに思えて仕方がない。

意味のない人生の素晴らしさについて

人生に意味はない。
人生に意味を求めるのは危険だ。

意味とは何か?
それは、あくまで自分や他人の意見の反映であり、しょせんは感情の産物だ。

人生は事実の連続であり、結果の連なりである。
それ自体に意味はないし、結果があるからといって、目に見える、理解できる原因があるとは限らない。

だからこそ、人は意味を求めてしまうのだろう。

逆説的に言えば、人生に意味はないからこそ、意味があると言える。
意味がない代わりに、人は自由だ。

宗教の話をしよう。
あらゆる宗教は、ある男たちの人生の拡大解釈と言える。

彼らの多くはとっくの昔に死に絶え、われわれに残されたのは彼らの物語だけだ。それも多くは彼ら自身が残したものではなく、後世の人たちのあとづけにしか過ぎない。彼らが実際に「何をしたのか?」ということに関しては、永遠にわれわれは知ることが出来ない。

でも、彼らも繰り返し、「今を生きろ。この瞬間を大事にしろ」と説いていたが、人は人生に意味を求めて、その言葉の真意を曲解してしまった。

今、起こっていることに意味はない。ただ事実があるだけだ。事実から導き出す判断が重要で、その事実に対して意味を求めても、仕方がない。いつまで経っても、同じところに留まり続けることになるだろう。

人生に意味はない。
人生は時に残酷だし、どうしようもない悲劇的な出来事を引き起こす。

911では人は意味を求めた結果、戦争を引き起こし、その結果ますます貧富の差は広がった。311のあとは、人は原因を求めて、反原発を声高に唱えて、経済に深刻なダメージを与えた。ときに意味や原因を求めると、人生そのものの価値を損なうことになるのだ。

人生という監獄から抜け出すためには、そこに意味を求めることを止め、すべてを受け入れて、それから判断することだ。目の前に起こっていることだけに注視し、そこから未来を予測し、自分にとってベストな判断を導き出せばいい。そして、新しく引き起こされた結果に対して、それを受け入れ、それからまた新しい判断を下す。人生はそのことの繰り返しだ。

人生に意味が入る隙間はない。

Related Posts with Thumbnails
Page 1 of 291234510152025...Last »