ブログ移転のお知らせ

このブログを下記に移転します。

第一弾は下記になります。

今までの20年とこれからの20年について
このHPはとりあえず、そのまま放置していくつもりです。そして、ブログのみ上記で更新する予定ですので、今後共よろしくお願いいたします。

空港にて:明日の自分のためにできること

また空港にいる。
この二週間で一体どれくらいの時間を空港で時間を過ごしたのだろうか。

成田で、香港で、マニラで、そして関西空港で・・・・そうしてまた成田の空港に舞い戻ってきた。

以前は空港で過ごす時間はとても特別な時間だったが、旅が日常となった今、ただの生活の一部となってしまった。

見知らぬ土地へのときめきも、飛行機に乗ることへの興奮もなくなり、そこにはある種の惰性しかない。旅すること自体がなんら特別なことではなくなったからだ。まだ見ぬ土地へと思いを馳せることはとても難しくなってしまった。

行きたいところがあれば、すぐにでも行けるし、気に入ればその土地に住むことが出来る。そんな夢の様な生活を手に入れると、不思議と自分に制限を課したくなり、頑なに今までブエノスアイレスに2年も滞在しスペイン語とタンゴに時間を費やし、今ではメキシシティに滞在して、サルサにうつつを抜かしている。

そんな生活にも正直、飽きた。

こんなふらふらしている人間が言うのもなんだが、もっとふらふらしてもいいのではと思っている。

例えば、夏はイタリアで過ごし、冬はブエノスアイレスで、南半球の夏を満喫して、春は日本で桜を堪能して、日本の雨季が来る前にアジアで食を堪能して、それからメキシコのカンクーンでビーチ生活をするのももはや夢ではない。

もちろん、そのためには今まで以上に仕事をして、生活基盤を安定させないといけないが、そのような生活が夢見るものではなく、検討すべき現実的な事柄となったことはとても喜ばしいことだとは思う。たとえ、そのために出発前の旅のときめきや、見知らぬ土地への憧憬を犠牲にしても、手に入れるに値する生活ではないだろうか。

人は年を取るたびに自由が失われていくと思い込んでいるが、実際はその逆だと思う。
人は年を取るたびにどんどん自由になるべきだし、自由になっていないのであれば、人生になんらかのエラーが生じている。

人生の伴侶を得ようが、子供を授かろうが、その人の生活の自由には本来影響はない。
子供はどこでも育てられるし、生活はどこでも営むことが出来る。ただ、そのためによりいっそうの努力が必要とするが、それに値すると思えば、やればいい。

自分はそれほど誇りにできることもないし、何かをやり遂げたと自慢に出来ることも特にないが、ひとつだけ誇らしく思っていることはある。それはすべての出来事も受け入れ、あらゆることは自分の責任と割り切ることが出来ていることだ。

それほどの幸運に恵まれてもいないし、それほどの不運に見舞われてもいない。
ただそれでも、今まで起こったことはすべて受け止めているし、ある種の必然と思い、すべては自己責任のもとに処理をしている。

結局のところ、それが自分を成長させる鍵だと自覚しているからだ。
人生を突き詰めたところ、運がいい人間は成功するし、運が悪い人間は失敗するということに気付く。

つまりはそれだけのことだ。

それをすべて自己責任と割り切れるかどうかで、その人が次のステージへと進めるかどうか決まる。

そうして、自分はあらゆるリスクを負っても次のステージへと進むことしか興味がない人間だ。停滞は悪であり、退屈した生活を送るぐらいならば死んだ方がマシだと思っている。

経営者としての自分の可能性をもっと試したいと思っているし、旅人としても一流でありたいと思う。それに家庭人としても、思いやりのある人間でいたい。

何かを犠牲にして何かを得ようとは思わない。すべてを得るためにはいかに生活を送り、築くべきか、まずはそこから考えていきたい。

そうして、今よりももっと自由になり、開放的な人間でいたいと思う。

人生の深度:一流の人間について

ブエノスアイレスからメキシコ・シティへと戻ってきた。
ブエノスアイレスに居た頃は、毎日タンゴのクラスに通い、タンゴを踊っていた。

「タンゴのことそんなに好きなの?」「タンゴのためにブエノスアイレスに2年も住んだの?」

そういうことをよく訊かれる。
タンゴを習い始めて、2年が過ぎるまではタンゴが楽しいと思ったことはなかった。ただひたすら自分の中にないものを取り入れたいばかりに、多くの時間を費やした。リズム感や音楽のセンスなんてまるっきりなかった。

それでも運動能力は人よりもあるので、それさえ身に付ければ他の人よりも上達のスピードが格段にあがった。

もちろん、そうなるために2年もの歳月を費やしたわけだが、その甲斐はあったと思っている。

なにかを本当に楽しむためには、それなりの習練と時間、それに伴う忍耐と経験が必要だ。語学にもそれが言える。

スペイン語の勉強は最初のころはひたすら辛かっただけだが、それを2年も続けたおかげで、今はスペイン語で不自由なくコミュニケーションを取ることが出来るし、それがとても楽しい、

人生、何も本当に学んだ経験がない人は、人生を楽しむことが出来ないのではないだろうか。享楽的な人生を送るアルゼンチン人たちを見ていると、そう思う。

彼らは今現在の責任は他者に転嫁し、自分たちの能力を向上させる努力をしない。
仕事でもスポーツでもタンゴでもなんでも、彼らは驚くほど自分たちに満足するレベルが低い。

もちろん、どの分野でも一流の人たちはいる。でもその下に位置する人たちがいない。いきなり三流か四流の人たちになってしまう。

日本のような国とはそこが一番違うのかもしれない。

あくことなき向上心と、自分の仕事に対する要求と他者から要求が強すぎて、先進国でも非常に高い自殺率を誇る国になってしまった日本。

仕事とは、決まった時間をなるべくなにもしないで済むように努力することであるアルゼンチン。

国としては一長一短がある。
だが、個人の人生としてはある程度、自分を追い込んで、能力を引き上げるための努力をしないと人生の本当の醍醐味を味わうことは出来ない。

村上春樹の小説には、よく「掘る」という表現が使われる。自分の小説を語るときにも彼はそのように語る。彼は毎日自分と向き合い、ひたすら自分を掘り続けて、世界中の人を感動させるような小説を生み出している。

人生の深度は深ければ深いほど、その喜びも大きくなる。多くの物語が悲劇や死を題材にするのも、それと関係しているのだろう。死を前にしないと生に歓喜なしというやつだ。

どこまで掘り続ければ満足するのだろうか。

そもそも本当に生きている間に人は満足することがあるのだろうか。

一流と言われる人たちは常にそのことを自問自答して、毎日戦っているのだろう。
今更、一流のタンゴダンサーになれるとは思っていないが、せめて死ぬまでには一流の人間の仲間入りはしたいと思っている。

ただひたすら青い空に向かって:ブエノスアイレスより

2014年になった。
今年も過去2年と同じように新しい年をブエノスアイレスで迎えた。

去年は移動の年だった。ひょんなことから世界一周を思いつき、結局7ヶ月かけてブエノスアイレスからまたブエノスアイレスへと戻ってきた。その過程でメキシコと出会い、結局そこに4ヶ月も滞在してしまった。

今年は2月までブエノスアイレスに滞在し、2月から2ヶ月くらいメキシコシティに滞在し、それから日本へと一時帰国するつもりだ。日本からフィリピン、それにシンガポール、香港などにも行く予定でもある。それからはブエノスアイレスに帰るか、メキシコシティに行くかまだ決めていない。

すべては状況次第だろう。

ブエノスアイレスの1年目はスペイン語がストレスとなり、2年目はマンション購入がストレスだった。それらが一段落すると、なかなか居心地がいい街だとは思う。相変わらず停電はするし、インフレはすごいが、それでも魅力的な街だ。

東京、メキシコシティなどの大都市に比べると、本当に田舎だから、のんびりとしている。メキシコ人の友人アビマエルがブエノスアイレスに遊びに来て、ひたすら「ほんと、ここはのんびりしている」と言っていたので、間違いない。

アルゼンチンという国の行末も気になるし、なんといっても自分の「ホーム」がある。今まで自分が住んだ家で、一番居心地がいい家だ。なにがあってもいつでもここに戻ってこれるし、またしばらくしたらここに住み始めるかもしれない。

未来のことは全く分からない。

ただしばらくは、どこかの国のどこかの街に2ヶ月くらいて、また旅立つということを繰り返すかもしれない。その拠点となるのが、ブエノスアイレスになるのか、メキシコシティなるのか、または東京になるのかは分からない。

今年は「どこに住んでいるの?」という質問にはうまく答えられないだろう。去年まではブエノスアイレスと言えたが、今年はそれほど多くの時間をブエノスアイレスで過ごすことはない。おそらく、今年あと一度くらいは戻ってくるかもしれないが、それ以外は違う土地で過ごす予定だ。

メキシコシティで出来た新しい友だちが懐かしく思い出すし、またこの家の居心地の良さも捨てがたい。そして、日本の友人や家族のこともある。今年は距離や時間など関係なく、好きなときに好きなところにいけるだけの経済力を身につけるために、よりいっそう仕事に専念したいと思っている。

仕事も人生と同じように自分にとってはゲームと同じだ。ただ違うのは、仕事の場合は最初からビジョンやプランを持って挑むことだ。人生は、成るようになるが、仕事はそうはいかない。

仕事とは、自分の最初のイメージに現実をどれだけ実際に近づけさせるかというゲームであり、人生は最初から先入観を持つことなく、どれだけ自分を自由にさせるかというゲームだ。

いつも思うが、ブエノスアイレスの空はいつも雲ひとつなく、青い。
そんなことはこの土地に実際に来るまで、知ることはなかった。

それが人生の醍醐味であり、生きるということなのだろう。

たぶん、世界にはもっと青い、雲ひとつない空が広がっているところがあるに違いない。
いつか、そんな国行ってみたいと思うし、そこでまた生活をしてみたい。

2013年の真夏のブエノスアイレスにて

半年ぶりにブエノスアイレスへと帰ってきた。
見知った風景、それに人々。


2年も住んだので、よく知っている風景だが、どこか違和感がある。それは自分が知っているこの街は、半年前から更新されていなかったからだろう。この街にもこの街の人々にも、同様に半年という月日が流れ、外見上は全く同じように見えても、やはりそれはどこか違う。

半年という月の流れが、薄皮のヴエールのようにブエノスアイレスを覆っている。この街に住んでいるときは滞在者だったが、今はきっとこの街にとっては漂泊者といったほうが正しい。


「いつかはまたいなくなる」・・・・きっとそのようにみんなに認識されているのだろう。


住んではいないという感覚はどこか心地が良いのも事実だ。どんなことが起こっても、また自分は違う街へと旅立つ。ただ、それと同時に少しさびしい気持ちもある。自分が目指したのは、どっぷりとその土地に浸かり、その土地の人々に埋もれ、その国の言葉を話すことだ。2年という月日でそれはある程度、達成したとは思う。

だが、それでもほんの少しのこの距離感がもどかしい。

ブエノスアイレスに何かしら特別な感情があるのは、別にこの街で初めて自分の家を買っただけではない。なにかきっとそこには無視できない思い入れがあるからだとは思う。そして、苦労して自分のホームを手に入れたことで、この関係はさらに強固のものとなった気がする。

ブエノスアイレスに家を買う・・・・正直、馬鹿げていることだと思う。全財産をはたき、借金までし、それに複雑で怪奇な手続きを踏み、ようやくマンションの契約は1年半がかりで完了した。それに値する買い物をしたのか、今でも疑問に思う。金銭的な面を考えれば、得することはないのではとすでに割り切っている。

ただ、ひとつ思うのは、この街に家があることによって、ブエノスアイレスの人々はきっと僕が再びここに戻ってくることを確信して待ってくれるのではと思う。もちろん、自分の思い込みを多分にあるとは思う。それでも、この街に家があるのと、ないのとでは人々の関係性の重みが違ってくる。

そこまでして、この街や人々に近づく意味はあるのか。

それは今でもよく分からない。しかし、ひとつ言えるのはこれが自分のやり方だし、生き方だ。やると思ったら、とことんやる。毎日、スペイン語の勉強に明け暮れ、タンゴを踊り、マテを飲み、アルゼンチン産の肉を食らう。そして、挙句の果てに家まで買う。アルゼンチン人よりもアルゼンチンに詳しくなる努力はする。だからといって、別にアルゼンチン人になりたいわけでもなんでもない。

それがその土地に生きるという自分なりの矜持だ。

アルゼンチンでは、不動産の購入はすべて現金払いだ。しかし、ドル規制があり、建前上ドルは国内に持ち込めないことになっている。それをあの手この手で回避し、とあるプライベートバンクの香港の隠し口座に入金すれば、ブエノスアイレスでキャッシュでドルを下ろせる仕組みを利用した。

そんな映画さながらのオペレーションを経て、外国人はこの土地に家を買う。なかなかエキサイティングな話だ。それに支払いも当然、現金なので治安がすこぶる悪いこの街で1000万円強の金を持って、この街を徘徊して支払いを済まさなければいけない。

やはりどこか馬鹿げた話だ。

2001年に財政破綻したこの国に全財産どころか借金までして、土地を買うのは正気の沙汰ではないとは思う。そこに短期的なメリットを見出すのは難しい。しかも、今はこの国に住むつもりもない。あくまで漂泊者であり、たまに来る旅人だ。

それでも、いいのではないかと思う。全財産をはたいて、学ぶこともある。お金に執着心はないが、もっと金があれば、行く土地土地で家を買って、各国を転々とする生き方もいいのではと夢想している。それが仕事のモチベーションにもなる。

これから沈むゆく借金苦の日本に全財産どころか30年ローンを組んで自分の人生を縛るよりは、ある意味夢のある生き方ではないだろうか。メキシコ、フィリピンなどこれからどんどん伸びる国に家があれば、長い目で見れば、リスクヘッジにもなる。 
(ただどう考えても、アルゼンチンに家を買うことはリスクヘッジにはならないとは思う)

人生は賭けの連続だ。
常にどこかで自分の人生を賭けなければいけない。

どこで、誰に、何に、人生を賭けるのか。
少しづづ賭け金を増やし、頃合いを見計らって賭けていく。賭け金が上がれば上がるほど、人生はエキサイティングになる。

失敗は成功のもとというが、本当は小さな成功こそが大きな成功のもとだ。
最初は賭け金を少なくして少しつづ儲けて、余裕が出来れば大きな賭けをする・・・・全財産を失わない程度に。

金はなくなるが、土地はなくならない。
どんなことがあっても、この地球の裏側には居心地のいいホームがある。そう考えれば、この賭けはあながち間違っていなかったかもしれない。

10年後、今のように笑ってこの年に起こったことを振り返っていたい。
そのために今日があり、また明日がある。

そうして、今日が未来へと繋がっていくのだろう。

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